篠田桃紅さんは2021年3月に107歳で亡くなった。
「書」の道に飽き足らず、文字を解体し墨で抽象を描き始め43歳の時に単身アメリカに渡る
抽象表現主義の隆盛を目の当たりにし「水墨抽象画」により世界的評価を得たお方。

没後1年を経て2022年菊池寛実記念 智美術館で開かれた
回顧展「夢の浮橋(文末に動画リンクあり)」を観に行ったことがある。
研ぎ澄まされた感覚に、私は圧倒された。

「コンラッド東京」の28Fにある作品を観に行ったこともある。巨大な作品を見上げて「ハ~っ」
とんでもない人だと思った。

昨日、パシフィコ横浜の「TokyoGendaiへ行ったら、ぐうぜん篠田桃紅さんの作品があった
無欲で自然体の墨の線、やっぱり凄いもんだった。(下のGIF画像)

6冊借りた

市立図書館へ4冊返却し、新たに6冊借りた

篠田桃紅 「103歳になってわかったこと」 

借りた6冊の中で、篠田桃紅さんの「103歳になってわかったこと」一番気に入った
年寄り向けの「大きな活字」で飄々と書いてあるから、アっという間に読み終えた。
下記目次
黄色塗り部分をご紹介します。

▲でっかくなります

歳をとるとは「創造して生きていく」こと。

百歳をすぎると、前例は少なく、お手本もありません
90代までは あの方は…などと、参考にすることができる先人がいました
しかし100歳を過ぎるとお手本が無いのです
だから、ぜんぶ自分で創造して生きていかなければなりません。
年をとるということはクリエイトするということです。
作品を作るよりずっと大変です。
全てのことがおとろえていくのが年をとるということなのに、
毎日を創造的に生きていかなければなりません。

悟りの境地

若い時は、頭にひらめいたことは何でもやればできる、
やれそうな気がどこかにあります。
しかし歳とった今は、人にはできることできないことがあることを思い知ります。
できなくて悲しいというよりも諦めることを知ります
そしてやがて悟りを得た境地に至ります。
ここまで生きて、これだけのことをした、まあいいと思いましょう
自らに区切りをつけなくてはならないことを次第に悟るのです
老いるということは、天へと続く悟りの階段を上がっていくことかもしれません。

「夢中になる」ということ

人というのは不思議な生き物。
人というものはどういうものであるかわからないから
文学、芸術、哲学、さまざまな活動をして、人は模索しているのです。
例えばスポーツにしても、
なんでこんなことをやるのだろうということを一生懸命にやっているのです。
そんなに必死になって泳がなくていいはずですが、
泳ぐからには一番になりたい 、記録を更新したいという思いにもつながっていきます。
何かに夢中になるものがないと 人は生きていて 何だか頼りないのです。
何かに夢中になっているときは他のことを忘れられますし、言い換えれば
一つ何か自分が夢中になれるものを持つと、生きていて人は救われるのだろうと思います。
仕事に夢中になったり、趣味に夢中になったり、 宗教などに夢中になるのもそうだろうと思います。
人は皆、何かにどこかに寄りかかるものが欲しい。
その一役を買ってくれるのが 何かに夢中になることだと思います。
そして、芸術、 スポーツ、 宗教など様々なものを生み出しているのだと思います。

「無の境地」

私は作品を書き始めると、いっさい何も思わなくなりました。
作品と私の間には筆があるだけで、ただ描いているだけです
それは筆が勝手に描いているという感覚で 、何かを表現したい、想像したい、造形を作りたいといった私の意識はどこにもありません
描いていると言う意識すらもありません。
無意識のうちに自然に出来上がっていた。
しかもこれまで見たことのない全く新しい境地の作品です。
人は、老いて日常が「無の境地」にも至り、
やがて本当の「無」を迎える。
それが「死」である
100歳を過ぎると、人は次第に無に近づいていると感じます
そう考える、そう感じるようになりました。

「そうだよな~」って思った

❶「夢中になっているときは他のことを忘れられる・救われる
❷「作品を描き始めると…無意識のうちに自然に出来上がっていた

この2点は、いたく納得しました。

YouTube動画です

▼ 菊池寛実智美術館「篠田桃紅 夢の浮橋」

菊池寛実智美術館「篠田桃紅 夢の浮橋」

▼ 篠田桃紅 107歳の美術家

篠田桃紅 107歳の美術家
前の記事  次の記事▶