0630 山陰(3)松江城と植田写真美術館

山陰旅行

初夏の山陰ガラスキ旅行(3)

二日目は、玉造駅からJRに乗り宍道湖を眺めながら松江駅へ向かった。「宍道湖」はなぜ「しんじこ」なのか不思議だった。どう頑張っても読めるはずない。
「宍=猪(しし」)「道=路(じ)」で、猪の通った路という意味からきたとのことだったが相当ムリがあるな。

さて松江市といえば、松江藩の城下町を中心に発展してきた山陰の中心都市。今日の一番の楽しみは「松江城」、二番目「県庁街の建築」、三番目「県立美術館」、四番目「植田正治写真美術館」だった。とっても盛りだくさんですね。

松江市内はループバスで

松江駅からは「ぐるっと松江レイクライン」を利用した (赤塗箇所)。車内アナウンスや運転席後ろのモニターで松江の観光地を紹介しながら巡る観光客向けのループバスだ。料金は一回210円で 一日乗車券は520円。私は4回乗ったから十分もとをとったな。でもコロナで減便され、間隔が20分から30分になっていたた。けっきょく4回乗ったのだが他にお客さんは一人も乗って来なかった。

松江城は、とにかくリッパだった!

松江城完成は約400年前の1611年。「現存天守」12城の一つ。
「現存天守」とは、ほぼ創建当時のままを維持して保存されている天守のこと。江戸幕府の一国一城令による破却や明治政府の廃城令に伴う撤去、第二次世界大戦での空襲などを乗り越えて残ったもの。さらにその中で姫路城,松本城と松江城だけが五層の天守閣をもっている。下図「現存天守12城」の中で姫路城は圧倒的なスケールで別格の存在で、松江城はそれにつづく規模の天守だ(四国に多いのは戦乱に巻き込まれなかったことから)。私は「城マニア」じゃないけれど、松江城はスゴイ天守なんだよ。

「現存天守12城」

天守の入り口で靴を脱いで入った。スリッパなんか置いてないから素足(靴下は履いてるけど)で歩く。でもハダシでも大丈夫なほど木の床板がピカピカに磨き上げてある。とっても暗いしグラグラ揺れる木製手摺付きの急な階段を4つも登るのは結構しんどかった。でも、なぜかすご~く懐かしい気がした…ナ。

内部が昔のままに残されている「現存天守」はとっても貴重だ。
大阪城や名古屋城にも行ったことがあるけれど、鉄筋コンクリート製の復元天守で城の形をした資料館だったから内部に入ってガッカリした。

「名古屋城を木造で復元するぞ~」って、河村たかし市長が言い出して物議をかもしているけれど、沖縄・首里城の火災でも明らかなように、木造で建て替えた場合、巨大木造建築物は火がついたら手の施しようがない。階段は狭くて急だし身障者やお年寄りが上れない。史実に忠実な復元は今後は事実上不可能なわけだ。そういう意味も含めて、現存天守の内部に入れることはすご~く楽しみだったのです。
* 松江城HP
 https://www.matsue-castle.jp/
* 松江城再発見-天守・城・城下町-HP
* https://www.youtube.com/watch?v=zXW7dC-xRto

石垣もリッパだった

大手前を入ってすぐの馬溜にある高さ13mの巨大な石垣がまず目を引く。打ち込み接ぎ(*)谷積み(+)で頑丈で登りにくい。馬留右の太鼓櫓の隅は、長辺と短辺を交互に積んだエッジの効いた算木積み(写真右)。米蔵跡から見る長い石組みは とりわけ美しかった(写真下)。
(*)加工しすき間を減らした積み方、高く積むことができる。(+)築石の対角線が垂直


脇虎口ノ門跡の北惣門橋を渡って松江歴史館前に出た。歴史館は大きな資料館だが事前に見たTVで内容は分かっていたからパスした。武家屋敷が残される「塩見縄手」を内濠に沿ってのんびりと小泉八雲旧居まで歩いた。ここは松江藩の中級武士が暮らした場所。見事な枝ぶりの松からは時代を感じた。

大建築の聖地を見た

島根県庁周辺は「大建築の聖地」又は「60年代モダニズムの聖地」と言うそうな。
松江城を背景にして「島根県庁舎」「島根県民会館」があり、県庁の西側には「島根県立図書館」と「島根県立武道館」が並ぶ。そして「旧島根県立博物館」が庭園をはさんで建っている。

これらの建物は、1950年代~60年代にかけて松江城周辺の歴史的景観に馴染むように一体的に整備にされ、1970年には「島根県庁舎及びその周辺整備計画」として日本建築学会賞を受賞している。
モダンな建築が生まれた背景には昭和30~40年代にかけての知事、田部長右衛氏の叡智があった。田部知事は奥出雲の山林大地主で衆議院議員でもあった。茶道文化の育成にも努めた人で、柔軟な理解力をもったホントに素晴らしい文化人だったわけだな。
資料『大建築の聖地』大建築 友の会:発行
  
http://aba-shimane.or.jp/daikenchiku/
* モダニズム建築物の宝庫 しまね建築探検ツアー
  https://www.kankou-shimane.com/pickup/9436.html
* 島根県立図書館・武道館・旧博物館(動画)
* * https://www.youtube.com/watch?v=SSB94iYC9NA

県庁舎~図書館~武道館~旧博物館を見て回ったが、なかなか見応えがあった。
ここでは「旧博物館」にだけ触れてみる。
「島根県立博物館」とネットで検索すると、今では「島根県立古代出雲歴史博物館」が表示される。この建物の現在の正式名称は「県庁第三分庁舎」だからちょっと分かりにくい。ここには「竹島資料室」があり、竹島に関する歴史的公文書や「竹島問題研究会」の研究成果などを公開しているブースがある。

これは菊竹氏が島根県で初めて完成させた建築。
水害の多い松江で収蔵品を守るために、コンクリートの太い柱と梁で薄い箱を持ち上げた構造。また、自然採光。通風の目的で「ルーバーウオール」と呼ばれる回転式の格子戸を考案し設置した、しかし重すぎて上手く動かなかったようだ。失敗もあるんだね。
* 竹島問題について
 https://www.kantei.go.jp/jp/headline/takeshima.html

休館中の島根県立美術館

「島根県立美術館」は1999年に開館した山陰最大規模の美術館。
「水と調和する美術館」として水が描かれた作品を多数収蔵。宍道湖の夕日鑑賞のベストポジションとしても人気がある。地上2階の平面的でチタン製の大屋根をもつ風景と一体化したような優美な建物。これも菊竹清訓氏の設計というから驚いた。

2021年5月から1年間、全館を休館して改修工事中だから外部だけしか見られなかったが、その特異なイメージには圧倒された。

鉄骨が横たわり一帯が鉄パイプに取り巻かれていたから、作業着を着た工事関係者に尋てみた。
「修繕って、どんな修繕するの?外部の工事もするの?」
< もう20年経っで空調・照明等が老朽化したから交換します。それから東日本大震災以降、天井の技術基準が変わったことでロビー天井をすべて布で覆う形にするんです。私はその担当で… > そう言って作業内容をタブレットで見せてくれた。
「この鉄骨は?」と聞いたら、
< あーこれは外部から見えないようにすべて囲ってしまうんですよ>「えっ、これを向こうまで全部囲っちゃうの??」ちょうどレイクラインバスがいたのだが、その奥側までぐるりと囲うのだそうだ。「む~??」私にはこの工事の意味がどうにも分からなかった。

そういえば「川崎市民ミュージアム(左写真)も菊竹氏の設計だ。何となく似てるといえば似ているような…。「川崎…」は2年前の台風19号による被災で浸水被害にあって移転再建するようだからまもなく取り壊されるようだ。

松江市は昭和47年に大洪水に見舞われたことがある(右写真)。ひょっとしてこの囲い込み工事は水害対策なのか…?この美術館も川崎のようにならなきゃ良いのだが。

* 島根県立美術館HP  https://www.shiman

「出雲そば」を、松江の「ふなつ」で食べた

「出雲そば」というからには出雲大社あたりが本場かと思いきや、そのルーツは松江城にあるという。信州松本城から転封され松江城主になった松平直政が連れてきた信州のソバ職人によって広まったそうな。その松江の中でも名店といわれる「ふなつ」へ行った。
開店時でも、いつも行列でなかなか食べられないと言われるが、やっぱりコロナだガラスキでお客さんはだ~れもいなかった。



入り口脇で店主が何やらゴソゴソやっていた。そこでは石臼がゆっくり廻り、電動フルイが左右にガタガタゆすられていた。ここでは「挽きたて」「打ち立て」のソバが食べられるってわけだ。嬉しい。

「割子そば」と「ザルそば」を頼んだ。「割子の麺」は、殻ごと挽いてるから薄皮が含まれた黒めのソバで太め。「ザルそば」は脱皮して挽いた麺で量が普通の1.5倍もあって食べきれない程だった。「割子」と「ザル」とがちょっと味が違っておもしろかった。「ソバぜんざい」と「ソバの揚げ餅」まで付いて840円と880円だった。キチンとした仕事をしているのに良心的なお値段だと感心した。

玄関も店内も昔ながらのつくりだが、何故かメニューが可愛らしくて微笑ましかった。11時半を過ぎたらお客さんゾクゾク入ってきて一杯に。コロナでこれだから平時ならば入店がタイヘンだったろうな。
※ 松江の蕎麦は「ふなつ出雲そば」で間違いない

「植田正治美術館」は行きにくさ№1だ!

米子駅でレンタカーを借り、運転して「植田正治写真美術館」へ向かった。
岸本駅を経ると空に向かって聳え立つ「大山」へと次第に近づいていく。「大山」は富士山に似ている。周囲に何もない空にすっくとおっ立っている。「ああ…、大山はこの地の自然の中心・人びとの心の中心に有るんだ!」そう思った。

私が美術館への行き方を考えた時、以下のような方法があった。しかしいずれも現実的じゃない。だからやむを得ずレンタカーにしたのだった。(米子駅から岸本駅までのJRは一時間に1本しかない)

  • 『大山るーぷバス』米子駅から25分(休止中)
  • 「米子駅」からタクシーで25分
  • 「JR岸本駅」からは予約タクシーで5分
  • 「JR岸本駅」から1時間1本のデマンドバス
  • 「JR岸本駅」から3.2km、歩いて45分、登りでキツイ

タクシーで行くには行けても帰りはどうする? とにかく行きにくい場所にある
この不便さが一番のネックだな。

念願の「植田写真美術館」

「植田正治写真美術館」は、伯耆(ほうき)町が運営する写真家の故・植田正治氏の作品15000点を収蔵展示する美術館。植田氏の功績を称え1995年に故郷でもあるこの地に建てられた。

植田正治は「Ueda-cho(植田調)」といわれる独特な「演出写真」で日本よりもフランスで有名。 1950年代にはMoMAに作品が収蔵、80年代以降はPARCOやTAKEO KIKUCHIなどファッション業界とのコラボレートによる広告写真でADC賞も受賞するなそなど活躍した。
彼は日本のシュルレアリスムを代表する写真家とも言われるが、70年近くに及ぶ作家活動の間「アマチュア精神」を抱き続けた人でもあった。
私が彼を知ったのは大学生の頃だった。写真部に属し「カメラ毎日」などの写真雑誌でときおり目にし、いたく共感を得たことを憶えている。

彼の初期作品は「演出による構成」だから普通の「写真」よりも「美術写真」という方が良い。無背景の中に無目的なオブジェだけが演劇的に配置されている。彼の作品を初めて見たときにはシュルレアリスムのデペイズマンのような思いがけない違和感を感じた。今回、美術館を訪れてそれら彼の初期出世作を観た時に、すごく懐かしく感じた。

翌日、鳥取砂丘へ行ってビデオを撮影した。そして帰宅後に、1時間ほど歩き回った動画から気に入った箇所を静止画に落としてスライドショーを作成した (*} 。そんな作業の中で思った。
「ああ…もしも鳥取砂丘が無かったら、植田氏の演出写真は生まれなかったろう!」

砂丘には砂と空しか無い。だから背景にムダなものが映り込むことが無い。人物をオブジェクトとすれば、その配置だけを考えることで構図が出来上がる。とにかく構図に集中できてしまうからオブジェクトの意味はぶっ飛んじゃう。
「あ~、これが Ueda-cho(植田調)ってモンだったんだ」すごく明瞭になった。

普通の写真撮影とは異なる美術写真ってもんがあるようだ。
これは面白いと思った。
もう私は、「え」を描くことには飽きちゃったけど、
デジカメとパソコンを使ってこんな遊びができるなら、
これからチョットやってみようかな … そう思ったょ。

(*)【美術解説】植田正治「砂丘と幻想https://www.artpedia

(*)写真を見る編 「植田正治https://www.1101.com/photog  

(*)植田正治 砂丘シリーズ https://www.google.com/search?

とんでもなく魅力的な建築だッタ

曇り空の夕方、100台以上止められる駐車場に着いた時、他には一台も泊まっていなかった。
館内へ入って展示を見た。他に観客はだ~れもいいなかった

「植田正治写真美術館」は、早くも開館2年目の約六万人をピークに入館者が伸び悩み、町財政を圧迫してきた。冬季は休館にしたり植田氏と親交のあったミュージシャンの福山雅治さんの写真展を開催するなど工夫しながら維持してきた。おそらく経営的に今後が相当怪しい!

40分ほどで外に出た。
車に乗り帰ろうとしたら奥さんが言った。
< 待って、建物をもっと見たい >車を裏側まで動かした。
「ほ~、こんな階段があるんか(写真左上)普通では見えない部分に大きな階段があった。これは使う必要がない階段。きっとデザインだけのイミだろう。
「スゴイな、この建築!」思わず声がでた。
< 当たり前だよ、高松伸だもの… >ものしり奥さんがポツリと言った。

私はこれまで高松伸という建築家は知らなかった。
しかし彼の設計事務所HPを見て、びっくらこいたシャープな直線と穏やかな曲線とが相まった近未来的な都市空間を思わせる華やかさがある。子どもが夢に描くような、そしてどこか手塚治虫氏の漫画を思わせるような建築がイッパイある。この御方こそ天才的っていうんだろうな。

 * 高松伸建築設計事務所 http://www.takamatsu.co.jp/ 

米子まで戻り、小雨がふり始めた中を2泊目の宿泊先の皆生温泉に向かうバスに乗った。

つづく

 

 

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