0525 田中一村に涙した  奄美旅行(4)

奄美旅行

「田中一村」に関しては、これまで調べたことも無かったがどこか気になる存在だった。

案内板を見落とした

最終日、空港への戻り路「一村終焉の家」に立ち寄った。
車載ナビに登録されてないから道路端の案内板に頼るしかなかった。名瀬の市街を抜けてしばらく走るころ、急に前が見えないほど強い雨が降り出した。これがスコールかと思った。
雨のせいで「終焉の家」案内板を見落として1kmの長さのトンネルに入ってしまった。
「ま~イイや、先へ行こう」って言ったところ、カヌー漕ぎでヘロヘロになり眠りこけてた奥さんが、急に眼ざめて言った。

「ダメよ、行くのよ。戻りなさいよ。」
「もうイイよ」と私
「ダメ、行くの」と奥さん

田中一村終焉の家に着いた

「もう~どうでも良いんだケドな~」って思いながら、雨が上がり見つけた案内板にしたがって、小道を左右しながら辿り着いた。

「えっ、コレ?」
終焉の家は、とても人が生活していた家とは思えないほど粗末だった。トタン葺き屋根に木の板を張り付けただけの壁、質素すぎて物置にしか見えない。
「エ~ッ…これ…」言葉が無かった。

一村がこの家に住んだのはわずか十日間だったという。
それまで16年間住んだ借家が区画整理で解体されるため、この古い借家に移住した。引っ越して日後の昭和52年9月、夕飯の支度中に倒れ、一村は誰に看取られるでもなく不帰の客となった。
一村の死後「終焉の家」は、近くの有屋川沿いの住宅地に一度は移築された。しかし今の場所に再度移築された。移転を繰り返した「終焉の家」は老朽化が激しい。おそらくあと十年は保たないだろう。

一村の死

一村は50歳の時に南の島々の自然に魅了され、奄美に移住した。
紬染色工で働きながら、奄美の動植物を描き続け、生前には作品を公表する機会がなく、無名のまま69歳にて生涯を終えた。
今、私も69歳だ。あれほどの作品を残した一村と比較して、ワタしゃ何も誇るべきモンなど無い。
ウ~ム…、何んとも言い難かった。

(つづく)

<参考>

田中一村終焉の家~奄美大島(鹿児島)

■奄美大島に没した田中一村の話<UAG美術家研究所>
(一村の概要が、分かりやすく解説されてます)
https://yuagariart.com/uag/kagoshima30/

 

 

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