1029 ヘタウマへの疑問

読書

映画『モリのいる場所』が5月に公開され、多くの人が画家:熊谷守一を知ることになった。
「この絵は子どもが描いたのですか?」と、
昭和天皇に言われたほど、彼は最高レベルのヘタウマ画家だ。

<どこが良いのか解からない?>
<なぜ赤の輪郭線?>
<なぜ文化勲章に推薦されたの?>

これが彼に対する、私のこれまでの疑問だった。
・『いのちへのまなざし』熊谷守一評伝(福井淳子)
・『熊谷守一生きるよろこび』展覧会図録、東京国立近代美術館、2017

疑問を解くべく、この2冊を借りて読んでみた。

評伝によって彼の生涯に関しては理解できた。
しかし彼の絵のどこが良いのか、相変わらず私にはさっぱり解からなかった
「掲載図版が小さすぎるからか?」そう思って図書館へ再度行ってみた。
じっくり探したら、開架図書だけでも彼に関する書籍が驚くほどたくさんあった。

『蒼蝿』 撮影土門拳
『モリはモリ、カヤはカヤ』(娘:熊谷萱)
『熊谷守一の猫』
『熊谷守一画文集ひとりたのしむ』
『守一のいる場所』
『守一ののこしたもの』(岐阜新聞社)
『モリカズさんと私』(映画『モリのいる場所』関連)
『無欲超え>熊谷守一評伝』 
『仙人と呼ばれた男』 (田村祥蔵)

市立図書館蔵書の、ひとりの画家に関する書籍では最も多いだろう。
それらにザッと目を通してみたら大体の疑問がとけたゾ。

<なぜ赤の輪郭線?>
―どうして赤い輪郭線を引くのか、どうして子供のような絵を描くのか―
多くの人からモリカズに何回も質問があったそうな。
<守一はそのつど応えに窮し「え、え、え」とか「う、う、う」とか言い淀んだ>
<ものをひとまとめに見ようとするときに、はじめは輪郭の線は、仕上げで塗りつぶしていた。しかしそれがだんだん欲が出てきて、輪郭もはっきりかくようになったわけです。>
「欲が出てきて、輪郭もはっきりかく」と説明されてもだれも理解できない。人は理屈で「赤い線の意味」を知ろうとするのだが、これがモリカズの精一杯の答えだったという。
モリカズを支援した木村定三は次のように記している。そしてこのあたりがもっとも満足できる説明だろう。
<昭和13年の日本画個展に向けて、多数の水墨画を太い線で描いた経験が、14年以降、油彩の場合にも太い線で物象を区切るこへと展開した。ただし、赤の太い線で区切ることには誰もが面食らったが>
輪郭線登場のきっかけは日本画(水墨画)にあったということだ。

<なぜ文化勲章?>
「文化勲章は毎年度おおむね5名」「文化の発達に関し勲績卓絶な者を文化功労者のうちから選考」受章者は、文化審議会に置かれる文化功労者選考分科会に属する委員全員の意見を聞いて、文部科学大臣から推薦された者について内閣府賞勲局で審査を行い、閣議に諮り決定される。

後半、ずっと自宅に引きこもっていた、ヘタウマ絵描き老人が、どのような経緯で文化勲章に推薦されたのか?私にはすごく不思議だった。でも資料によると彼の周辺にとんでもない文化人の友人がいっぱいいたことに起因したようだ。

同人雑誌に近い月刊文芸雑誌『心』(1948:S23年創刊、雑誌名の由来は漱石「こころ」、創作よりも随筆や人文研究の評論が多かった。『美術手帖』と創刊年がいっしょ)
『心』のメンバーは『白樺』の同人たちを中心に、和辻哲郎、鈴木大拙、柳田國男、志賀直哉、柳宗悦、中谷宇吉郎、梅原龍三郎、安井曾太郎など、哲学者、学者、自然科学者、芸術家など、そうそうたる顔ぶれだ。この同人の輪のなかにモリカズは招かれ、彼の独特な魅力が雑誌を通じて広められていったそうな。この中から文化勲章受章者が20人、文化功労者5人、文部大臣4人がでている。いわば権威の塊のような同人らによって彼への文化勲章が推薦されたのだろう。
でも、「私は世の中のお役にたつようなことをしてないから」と言って、
1968年(昭和43年度) 文化勲章の推薦を断ってしまうところが面白いところだ。

<どこが良いのか?>
モリカズの芸大時代の同級生に青木繁がいたのだが、当時の芸大は絵を描きたいなどという資産家のお坊ちゃんの変わり者が行くところだった。彼には描写力があり当初はもっとも有望視されていた。すごく上手な彼がしだいにヘタウマになったのはマティスやピカソのフォーブに強く影響されてのことだった。それがほとんどマティスの切り絵のようになり、さらに抽象画に近いシンプルさになっていった。
<ヘタウマ>は、今でこそイラストや漫画の分野では表現スタイルとして理解されている。西洋絵画では元祖アンリ・ルソーがいるし、ゴーギャンもピカソもその類に入る。
でも日本にはもともと白隠や仙厓のような<技術の拙さの極み>「禅画」があった。
「ゆるくて」「テキトー」で、かわいらしさやユーモアが漂う禅画の画面は、モリカズが14年ごろから描き始めた水墨画そのものだ。彼の後年の画面は「内容=禅画」+「スタイル=マティス」ってことで観ると分かるような気がする。
書籍の小さな画面でみても、彼の絵の良さは分からないだろう。大判の画集でみれば少し「よさ」がわかるような気がした。そして実物をみればもっと分かるかもしれない。

池袋に、彼が晩年すごした家跡を改築したモリカズ美術館があるという。 
そのうちに行って見たい。

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