0530 えらい!?、みんなマスクしてる

コロナ

やっと自粛が解除になったから横浜駅へ出かけた。
以前、いつ行ったのか思い出せないほど久しぶりだった。

西口地下街の 中心「ジョイナス」は、5月いっぱい休業だからメイン通りのシャッターはまだ閉まったまま。でも、高島屋やそごうなどのデパート、ヨドバシがほぼ通常営業に戻っていた。通常の賑わいに比べると三分の一以下なのだが「やあ、いっぱい人がいるな~」とへんに感動した。間隔を空けて レジで並ばせるから行列ができていてウザイけど、デパートの店員が何かと親切だった。こういう災いがあると人は優しくなるものだろうか?

京急に乗り、地下街を歩き高島屋で買い物したのだが、マスク着用率がほぼ百パーセントには驚いた。素直にお上に従う従順な国民性だとか周囲を気づかう思いやり社会だとか言われるが、一番の原因は連日連夜のTVによる恐怖報道のせいだろうな。
とはいえ、自家用の車を一人で運転してる際にもマスクしてる人が結構いる。マスクしてランニングしてる人もいるが酸欠や熱中症になるぞ。どこまで従順なのかアホなのかと呆れてしまう。

マスクといえば、「何十人か全員がマスクをかけ、揃って銀座を歩く」美学校のハプニング(パフォーマンス)を思い出す。眼帯をかけ 集団で歩くイベントや、全員がほうきと塵取りもって白衣を着て道路清掃するってのもあったっけ?
そんな馬鹿げた集団プレーを試みたりしたのが「美学校」の演習だった。 この学校は、「困った本を出す」といわれた「現代思潮社」が作ったヘンな学校だった。いまでもまだ東京神保町にあるそうな。

集団でマスクすることがパフォーマンスになったように、西洋人のように、 日本人だって昔からマスクするのには抵抗があった。風邪をひいた時やインフルエンザ対策でしかマスクしなかった。「マスク=私は病気」というシグナルでもあった。

それが変化したのは20年ほど前かな。花粉症という症状が世に登場し、その対策にマスクする人が増えた。その後、病気や衛生上の理由とは異なる目的でマスクする「伊達マスク」や「マスク依存症」があらわれた。そんなこんなでマスクへの抵抗感が薄れた日本社会になったわけだ。

12月に家内の入院で病院へ行く際に数度マスクする機会があった。それに始まり今日まで5ケ月になる。でも私が、その間使用した使い捨てマスクはたったの2枚だけだった。 わたしゃアマノジャクだからあまり素直じゃないってこともあるけれど、 まだ使えるから平気だろって、一枚の使い捨てマスクを数十回使用してしまうイイ加減でケチな人でした。

ところで、いつになっても届かないアベノマスクはどうなっちゃったんだ?

マスクのある風景・コロナ禍社会キーワード(1)「信頼」

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