0808 「国際芸術祭」が、やっと理解できた(2/2)

街と文化

< 国際展という言葉の明確な定義は存在しない。>

『ビエンナーレの現在』の「はじめに」で暮沢氏は以下のように続ける。
< 概要としては、数年に一度の周期で国内外から多くのアーティストを招き、公園などの仮設会場を舞台に開催される大規模な現代美術の展覧会という程度に理解しておけば大きな問題はないだろう >

第一回ヨコトリ報告書で事務局長の尾子隼人氏は、もう少し詳しく説明した。
< 国際展は、国内外の一線級のアーティストがしのぎを削る場であり、国際文化交流の場であると同時に、コミュニティーを巻き込んだ祝祭の場、あるいは美術と街と人との出会いを創出する場でもあります。また、国際展は世界が直面している問題を深めるきっかけを与えてくれる場ともいえるのではないでしょうか>
暮沢氏の説明は「方法」で、尾子氏の解説は「目的」といえる。

尾子氏がとりあげた、<国際文化交流・コミュニティー・祝祭の場・美術と街と人との出会・世界が直面している問題>、これらのキーワードは、まさにヨコトリが第1~6回までの間、右に左に揺れ動いてきたメインテーマの揺らぎであったように思う。

通常大型の国際展では、まず【総合ディレクター】が決まる。総合ディレクターには展覧会の方向性を決める大きな権限が与えられ、【テーマ設定やキーワード 】 などが決まる。その次に【キュレーター】が決まる。そしてキュレーターがテーマに適した【アーティスト】を選定する。アーティストが【作品】を制作し会場ができていく。これがほとんど共通するシステムだ。

したがって、こうして進められる企画の運営体制は、【ディレクター】の意向によって重視する目的が異なることになる。「ヨコトリ」の第2回展は、総合ディレクターに依頼された【建築家】磯崎新氏が主張が折り合わず辞任。急遽【美術家】川俣正氏に替わり、「サーカス」をテーマに【祝祭性と市民参加】をメインにし、専門性の高い平面や映像作品のような鑑賞型の作品が減った。結果的に評価は悪く無かったのだが、その後の題3回展では【総合ディレクター】 水沢氏の意向で祝祭性の排除が特徴的だった。【ディレクター】の意向がいかに強く働いているかが伺われる「幻の第2回展:事件」だった。

第1~3回展はメイン会場・サブ会場が毎回変更され、会場を選定するだけでも大変だったようだ。第4回展以降、メイン会場を横浜美術館としたことで運営としては楽になったものの、<作品=旧来の美術作品>のイメージが強まり、現代アート・都市とコミュニティー・市民参加などの面ではだいぶ後退したようだ。

これまでの「ヨコトリ」の概要

・総合ディレクター
第1回展01は、一人の総合ディレクターではなく【4名のディレクター】
(ボツ2回展) <磯崎新:主張が折り合わず辞任>
第2回展05は、【川俣正】(美術家)
第3回展08は、【 水沢勉】(神奈川県立近代美術館 企画課長)
第4回展11は、【逢坂恵理子】(横浜美術館館長)
第5回展14は、【森村泰昌】(美術家)
第6回展17は、【 逢坂恵理子】(横浜美術館館長)
第7回展20(今回)は、【総合ディレクター: 3名のアーティスト集団】

・テーマ・出品数・観客数
第1回展「メガ・ウェイブ – 新たな総合に向けて」100組・35万人
第2回展「アートサーカス(日常からの跳躍」) 71組・19万人
第3回展「TIME CREVASSE(タイムクレヴァス)」65組・55万人
第4回展「OUR MAGIC HOUR -世界はどこまで知ることができるか?-」77組・33万人
第5回展「華氏451の芸術:世界の中心には忘却の海がある」79組・21万人
第6回展「島と星座とガラパゴス」40組・26万人
第7回展(今回)「AFTERGLOW―光の破片をつかまえる」

・総事業費(市負担)
第1回:7億(1億)、第2回:9.5億(3.6億)、第3回:9億(3.3億)、第4回:8.7億(3.7億)、第5回:10億(5.7億)

国際展そのものを「一つの作品」とみるべきか

かつて私がヨコトリの会場に足を運んだのは6年前の第5回展の一度だけ。その時のテーマは「華氏451の芸術:世界の中心には忘却の海がある」だった。私がその会場で感じた「分かりにくさ」の一つは、個々の作品が設定されたテーマとあまりに無関係なことだった。総体として新規さも少なく「面白い」とは思えなかった。以後、私の中では「ヨコハマトリエンナーレはつまらない」「税金の無駄遣い」と映るようになった。市負担額が次第に増えて第5回には、なんと半額以上の5億円にもふくらんでいる。こりゃどういうことなんだ。

まあそれはさておき、国際展の場合には、従来のような一つ一つの作品ではなく 【総合ディレクター】の意向がどれだけ実現できているのか、そして「 国際展 」の企画全体を一つの作品として観ること、それが「理解」の方法であることにやっと気づいた。
第7回(今回)の【総合ディレクター】は、「ラクス・メディア・コレクティヴ」。ニューデリー生まれの3名により結成されたアーティスト集団だという。

< 建築家、コンピュータ・プログラマー、ライター、キュレーター、舞台演出家ら専門家や市民とのコラボレーションも豊富で、多面的な作品やプロジェクトを多数実現している。探究心旺盛なラクスは、多様な人々と未知なるものの豊かさを共有し、会話をつないで開かれた議論を促す独創的な手法やアプローチによって、現代美術、哲学的思索、歴史的考察が交差する領域で独自性を発揮し、予期せぬ新たな視点を提起する。> 

こんな解説を見てもサッパリわからない。 しかし、これまでにバルセロナ現代美術館や、「上海ビエンナーレ」などでキュレーターとして展覧会を企画している。
今回の展示では、次の5つのキーワードを設定している。
「独学」=自らたくましく学ぶ、
「発光」=学んで得た光を遠くまで投げかける、
「友情」=光の中で友情を育む、
「ケア」=互いを慈しむ、 
「毒」=世界に否応なく存在する毒と共存する

やっぱりニューアカはワカラン!

ところで、「アーティスティック・ディレクターの選考にあたって」と題した、選考委員長の浅田 彰氏による 【総合ディレクター】選考経過に関するコメントを読んだのだが、サッパリ分からなかった

14名の推薦者から21組の候補者が推薦され、5名の選考委員が書類選考で4組に絞り込み、最終選考を面接によって行なった、という手続きについては分かった。

< 世界のアート・シーンの第一線で活躍する候補が揃っただけに、最終選考はたいへん水準の高いものでした。ただ、「人新世」における地球環境危機への対応、多様性の肯定と … といった最新流行のコンセプトが並び、世界各地のアート・フェスティヴァルの常連が参加アーティスト候補として挙げられる中で、男性2人・女性1人からなるインドのグループ「ラクス・メディア・コレクティヴ」の提案ドゥルーズ&ガタリの思想を語る横浜の日雇い労働者に密着したイギリス人人類学者のルポルタージュなどをソースとし、そこから参加者が次々に連想の網を広げていくという方法からして独自性が際立つ一方 … 彼らであれば横浜ならではのトリエンナーレを確実に実現できるだろうと期待させてくれるものでした。選考委員会が最終的に「ラクス・メディア・コレクティヴ」を選んだのは、このような理由によるものです。>

人新世って用語を久しぶりに聞いた。
これは新たな地質年代の名=アントロポセンで、「人類の時代」という意味の新しい時代区分。なんでこんな用語が突然出てくるんだ? さらにドゥルーズ&ガタリの思想」なんてフランス現代哲学を持ち出されたら、こりゃあんた誰もついていけなくなる。

「ラクス・メディア・コレクティヴ」を選んだのは、このような理由によるものです。とのことだが、いったい何が「このような理由」かほとんど理解不能だ。さすが、かつてのニューアカデミズムの騎手だけあって分かりにくさは健在だな。

世界が液体でできている状況を見せてもらおう

「ラクス・メディア・コレクティヴ」は、ヨコハマトリエンナーレ2020についてステートメントを発表した。
< 今回のヨコハマトリエンナーレ2020は、私たちの多様な世界にある多様な流れを誠意をもって受け入れる態度を示します。その最初の瞬間から皆さんに、世界が液体でできている状況をお見せいたしましょう。確実とされる事態への思い込みを溶かし、ぼやけさせ、また周縁を中心として踊らせましょう。そこでは手つかずの自然はもはや文明に対立するものではなく、文化的倫理 にありがちな偏狭さは公然と無視されるのです。 >

まあ、ここまで予習したのだから、6年前のようなタダ首をかしげるだけじゃなく観ることができるだろうとは思うが、さてどうなることか?


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