最終日の4日目、まずはレンタカーを借りて日本海へむかう。
「網代漁港」を経て「浦富海岸」をドライブし、それから今日の一番目当ての「岩井窯」へ。その後は鳥取砂丘へもどり、それから鳥取市内観光だ。
旅行する以前には「鳥取はナンも無いところだな…」って思っていたのだが、行ってみたらいろいろ楽しめるところもイッパイ有ることが分かったょ。
消えゆく網代の郵便局
浦富海岸へ向かうためレンタカーのカーナビに、とりあえず網代港にある郵便局の電話番号を打ち込みスタートした。20分も走らないうちに「到着しました案内を終了します」と…。
だが郵便局が無い!ヘンだな、とあたりを探すと張り紙が貼られた「郵便ポスト」があった。見ると「6/8にポストを撤去します」と書いてある。
ポスト脇の家には大きな白い看板がある。元はこの家が簡易郵便局で、すでに看板から郵便局の文字が白塗りで消されていた。それがいまや「ポストだけ」になり、さらに今度はポストも撤去されるようだ。これが田舎の現実だと思うと悲しかった。
「浦富海岸」は絶景だった
「浦富(うらどめ)海岸」は、兵庫との県境から鳥取県を西へ15kmも続く長いエリア。切り立った岩と松の木の美しい景観をもつ山陰海岸ジオパークの一部。
海岸の崖をたどる遊歩道からは「荒々しく削られた岩壁や点在する島々を眺めることができる」とある。私は車で少し内陸部を走るから、絶景は期待できないものとあきらめていたのだが …
いや~素晴らしかった。
「鴨ヶ磯展望駐車場」からは箱庭のように点在する無数の島が見えた。
さすが「松島は松島、浦富は浦富」と浦富海岸の美しさを讃えた島崎藤村が絶賛した場所だ。
「城原(しらわら)展望駐車場」からは「菜種五島」が眺められた。
このあたり一帯は水深25mまで見通せる海水の透明度から天然記念物にも指定されている。シュノーケリングやダイビングなどの人気スポットにもなっている。
期待していなかっただけに「絶景を堪能」できて嬉しかった。
私が撮った写真じゃ素晴らしさが伝わらないから、ぜひ下のネット写真をご覧ください。
(*)浦富海岸 写真 https://www.google.c
ジオパークの3Dシアターっ
岩井窯へ向かう道すがらジオパーク資料館に立ち寄った。
ここは「山陰海岸自然科学館」として開館し、「山陰海岸学習館(2006年)」に改称し、その後「山陰海岸ジオパーク海と大地の自然館(2016年)」と改称されたもの。雄大なスケールの館名だが入り口はすごくチンケ。でもいちおう県立の博物館(入館無料)だ。玄関はいかにもに寂しげだったが内部を見て喜んだ。
「素晴らッし~!」危なげに吊るされた剥製の亀や魚が空を泳ぎ、勝手に覗いてネって感じで顕微鏡や拡大鏡がテーブルに並べられている。手造りのアナログ感覚に満ちている。学芸員の趣味的工作の世界だ、素晴らしい!。
じつは私はこうしたタイムスリップしたような「過去の遺物的」博物館展示が大好きなんだ。
ちかごろの博物館では、展示品がデパートの貴金属売り場のようなショーケースに並べられている。私しゃそうした上品な展示方法は好きじゃない。これにドン・キホーテみたいに手書きのポップでもあれば最高だなって、嬉しくって目を輝かせていたら、オバチャンが近づいてきて言った。
< 3D映像を見ませんか? 面白いですよ~>
タイトルを見ると『大地と海の物語』とある。
「何ぷん有るの?」 <20分です。もう始まってますケド >
ふ~む長いし、つまんねーそうだなと思ったが、とりあえず見てやるかってことで映写ブースへ入った。もちろん誰も居ない。渡されたメガネをかけて小さなスクリーンを見た。
映像の内容は、現在立ち入り禁止の近くの2つのの海食洞の内部を、NHKの協力による最新3D映像で紹介したものだった。
「オオッ! なんと素晴らしい画面かっ!」
海中を泳ぐ魚がスクリーンから飛び出してくる。水中洞窟は奥行き感がクッキリ。初めて見る迫力ある3D映像に仰天して、奥さんともども声を上げた。
「ゲっ、こ … コリャスゴイ!」
「ありがと~すごく面白かったよ」と言って外に出た。オバチャンも嬉しそうな顔してた。
初めて見た3D映像に満足して、次なる「東浜」へ向かった。
(*)鳥取県HP「山陰海岸ジオパーク海と大地の自然館」 https://www.pref.t
「東浜」駅と豪華列車の「瑞風」
「東浜海岸」はテトラポット一つ無い、広い入り江の、ものすごくキレイな海岸だった。そして「東浜駅」は海辺を前にした風光明媚な駅。
この駅は、それまで無人駅だったが「TWILIGHT EXPRESS 瑞風(みずかぜ)」が停車することで脚光をあびた。メジャーな観光地はすでに訪問済みという人も多いから、普段は見学できない場所をとの理由で選ばれたのかも…。運行開始に合わせて駅を改修し、近くの旧保育所施設を改修しレストランにした。「眺望と地引網の実演を…、そして瑞風の停車日には貸し切りにして乗客をもてなす」ということだ。
(*)東浜駅 https://seaside-station.
料金は1泊2日で27万円~、2泊3日は50万円~。
「こんな高額列車にはどんな金持ちが乗るんだろ~?」そう聞いたら奥さんがサラリと言った。
< 自分じゃ旅行できない人がプレゼントされたりして乗るんだよ。セレブがこんな列車に乗るはずないデショ >
ネットの書き込みにもあった。
< 60歳以上のご夫婦で参加している人がほとんどです。お金持ちそうな人は特にいませんでした。…意外と普通な人たちでした。>
(*)瑞風の乗客…その実像とは http://noritetsu.net/
「クラフト館 岩井窯」
東浜駅から山道を15分ほどで「岩井窯」に着いた。
この窯はTV番組の『趣味どきっ!「私の好きな民芸」(*)』で知った。岩井窯の主である山本教行氏は、高校3年のときバーナード・リーチに会うためにヒッチハイクで鳥取から東京に行ったという人で、今や全国で作品展が開かれている、超人気者だ。
「クラフト館 岩井窯」は窯と工房・作品展示館・参考館・喫茶と食事処からなる。この窯には鳥取の山間にも関わらず年間一万人が足を運ぶようになった。
(*)『趣味どきっ!「私の好きな民芸」』第5回 鳥取/焼き物(岩井窯、因州・中井窯ほか)、第6回 島根/焼き物(出西窯・湯町窯ほか)
ちょうど山本さんがいたから話を聞けた。気さくなお喋りオッサンだった。
「あ~、うちに札幌出身の子が居るよ。」ってことで紹介してもらった。もう6年目になる女性で、将来は戻って窯を開きたいって言っていた。なんで北海道からこんな鳥取の山中の窯に弟子入りしたのか不思議だったな。
(*)岩井窯(山本教行) http://iwaigama.com/iwaiga
(*)民藝旅【鳥取県 岩美町】 https://note.com/122112
鳥取砂丘へ「2度」行った
その後、昨夕に続いてもう一度「砂丘」へ寄った。
昨日は夕方でほとんど人が居なかったが(写真上)、翌日は土曜の昼だけあって多くの人影(?)が見えた(写真下)。盛り上がった馬の背からオアシスへ駆け下りた跡が随分と増えていた。昨日、私達が歩いた足跡が一番左に確認できた(写真下:赤○)。正午過ぎで気温32度、足元の砂に触るとだいぶ熱かった。この気温で砂丘を1時間歩くのはキツイだろうと思ったナ。
「とうふちくわ」が美味かった
最終日も、行きたいところがイッパイあるから忙しい。
砂丘まで戻ったものの、昼食をのんびり食べてる暇がない。なんか手軽に食べるものは…って「砂丘会館」で物色してたら「とうふちくわ磯辺揚げ」ってのを見つけた。
「とうふちくわってなんだ? 一本で280円って高いナ」とは思ったが買ってみた。ところがギッチョンこれがマア、美味かった!
「とうふちくわ」は、木綿豆腐と魚肉のすり身を7対3の割合で混ぜ合わせ、蒸し上げて作られたちくわで、鳥取県中東部に見られる独特の加工食品。江戸時代はじめ、鳥取藩は漁港の整備が遅れており収穫量の少ない魚は貴重な食材だった。その一方、大豆は盛んに栽培されていた。鳥取藩主となった池田光仲が、魚の代わりに豆腐を食べるよう勧めたのがきっかけといわれる。普通のちくわよりも断然美味かった。
3分で見終えた?…「砂の美術館」 [VTR]
すぐ傍にある「砂の美術館」に立ち寄った。
「砂の美術館」は、砂像彫刻家を海外から招き、毎年テーマを決めて制作した像を展示する施設。今年は第13期で「チェコ&スロバキア編 ~盛衰の歴史と神秘の残影を訪ねて~」 のテーマだった。砂の像はどれもスゴく上手にできていた。でも面白くはなかったので急ぎ足でざっと見た。室内展示が3分、外部展示3分ほどで見終えた。
(*)動画に撮ってみた。【3分で見終えた?…「砂の美術館」】
・・・https://youtu.be/_3z3HgFTrgY
鳥取市内に戻って「久松公園」へ
さ~て、鳥取市内に戻って観光した。
鳥取城址のあたりは「久松(キュウショウ)公園」として整備され「鳥取県立博物館」もここにある。この博物館の面白い?ところは「歴史・民族分野」加えて「美術分野」もあること。たしかに「美術館」も「博物館」の一種だし博物館法の枠内にあるのだからヘンじゃないけれど、市立や町立ならいざしらず「県立博物館」なんだから「博物館」に「美術分野」が同居してるのは、いかに弱小県といえどもどうかな?って思うよな。
せっかくだから美術展をやってたら覗いていみょうかと思ったら「木梨憲武ー瞬間の光ー展(6/5~7/4)(*)」でガッカリした。入り口前の床タイルに子どもたちがクレヨンで落書きしてた。
(*)木梨憲武ー瞬間の光ー展 https://www.kinashiten.com/
ここはすでに開館から40年以上が経過し、施設の老朽化や収蔵スペース不足が問題となった。所蔵物が置き場所に困るくらいにパンク状態となっているとのことから、この度やっと博物館から美術部門を切り離し、2024年度に「鳥取県立美術館」が新設されるそうな。
鳥取市は県東にある。だから新美術館は「県中央の倉吉市」の市営ラグビー場に建設するという。3階建て延べ床面積約1万平方、無料で入場できるエリアを広く設けるということだから、「まちに開かれた公園のような美術館」を建築コンセプトにした「金沢21世紀美術館」を参考にしてるんだろうな。
主なコンセプトは、1~3Fまで無料な広いスペース、体験型プログラムを毎日開催、まんが王国鳥取の発信、みなさんと楽しむ企画を開催 … ってことなんだけど…ワケワカメだな??。
設計は槙文彦事務所(*)。構想図(下図)を見るかぎりまったく面白みがないけれど、とりあえずどんな建物が出来るのか楽しみですね。
(*)建築家 槇文彦の現代建築 / 代表作14選・・https://archipelago.ma
(*)奇跡の建築〈ヒルサイドテラス〉の50年・https://casabrutus.com/a
住民の意見集計結果(*)には美術館なんかイラナイって意見が多くて参考になる。
(*)美術館の整備検討に関する意識調査における意見等 … – 鳥取県
・・・https://www.pref.tottori.lg.jp/secure/
石垣造りの「鳥取城址」を歩いた
「鳥取城」は、信長の中国攻めの際の「秀吉の兵糧攻め」で有名。秀吉は大包囲陣を敷き、救援と食料網を絶つ徹底した兵糧攻めをおこなった。『鳥取の渇え殺し』と称された最も悲惨な200日の籠城戦が行われたのがこの場所だった。。圧倒的な石垣の量のみならず球型に積み上げられた巻石垣、戦国時代から江戸末期にかけての城郭形態の変化を伺うことができることから「城郭の博物館」ともいわれる。
山の上の天守跡と二ノ丸跡が残されているものの、建造物のほとんどは明治12年までに解体されてしまった。山上の天守跡までは急坂で30分かかるそうな。二の丸から登っていく人がけっこういたけれど、キツイだろうな。
私は、博物館から二の丸を経て太鼓御門跡~大手橋へと歩いた。石垣の壮大さはハンパじゃないから歩き応えがあった。
復元工事に頑張っていたぞ
太鼓御門跡まで来ると大規模な修復工事が始まっていた。この工事は、鳥取市が観光地としての活用めざし2006年から30年間をかけて復元整備するというもの。現在は最初の「大手橋」再建が完了し大手門~太鼓御門を整備していた。幕末期の姿へ復元するための予算規模は51億2千万円。ぜひとも頑張って再建してくれたまえ。
ところで、そもそもなぜ「鳥取」と呼ばれるのかということだ。
これは、大和朝廷に直属していたといわれる職業集団の一つ、白鳥を捕獲して朝廷に献上する 人たち「鳥取部(ととりべ)」に由来しているとのこと。久松山一帯は「因幡国邑美郡鳥取郷」と呼ばれており、 戦国時代に城ができ鳥取城と呼ばれるようになったんだって。
吉田璋也の「鳥取民芸美術館」
さ~て、レンタカーを返却してから向かった最後の訪問先は、鳥取駅近くの「鳥取民芸美術館・鳥取たくみ工芸店」だ。「民芸美術館」には「吉田璋也(*)」による新作民藝の他、国内・海外で収集した民藝品が展示されている。「たくみ工芸店」は日本で初めての民藝店として昭和7年に開店し全国の民藝品を販売している。
「吉田璋也」は鳥取市生まれの医師。白樺派の柳宗悦の知遇を得て民藝運動に参加した。牛ノ戸窯で自ら新しくデザインしたものを指導し製作させ、更に工人を指導しデザイン・生産・流通・販売・消費に至る組織を作り上げた人物。
「鳥取民藝美術館」は鳥取の民藝運動の拠点として昭和24年に創設された。販売組織として「たくみ工芸店」等を次々と設立した、いわば吉田璋也氏は「民藝のプロデューサー」だ。午前中に行った「岩井窯」の山本教行氏も16歳で吉田璋也に出会い民藝の思想に感銘を受けた。それが陶芸家を志すきっかけとなったという。
(*)吉田璋也の世界 http://shoyayoshi
3棟の蔵造りの建物に美術館・工芸品展・たくみ割烹がある。実用的な工芸品を< 観せて・売って・使う > 三位一体のお店ってわけだ。
美術館内部は「3Dデジタルミュージアム・ウォークスルー」で、リアルに体験できる。こりゃスゴイぞ!
(*)「3Dデジタルミュージアム・ウォークスルー」
・・・https://my.matterport.com/show/?
(*)「鳥取民藝美術館」の見所&楽しみ方紹介
・・・https://tripnote.jp/tottori/tottori-folkcraf
帰りの新幹線もガラスキだった
鳥取駅で駅弁を買い新幹線に乗った。
鳥取の駅弁といえば「アベ鳥取堂」だ。駅構内の駅弁売り場で「かに寿司」と「椎茸弁当」を買った。「元祖かに寿司」は鳥取駅名物の60年以上販売しているロングセラー商品。「椎茸弁当」は鳥取で開発された「ジャンボ椎茸115号」を使ったもの。キャッチフレーズは「素晴ら椎茸」。
いずれも1080円なり。結構なお味でした。
新幹線も一車両に数名乗車で、ガラスキだったのは言うまでもない。
おみやげ
私は、普通にいう「お土産」ってものは買わないけど「実用的な陶器」だけは少し買う。
今回は、上述した「岩井窯(下写真・左)」と「湯町窯」のスリップウェア(下写真・右)を幾つか買った。
「山陰民芸」の特徴を理解した
旅行初日に、私は宿泊先に向かう玉造温泉駅前にある「湯町窯(*)」に立ち寄った。
この窯は「エッグベーカー」でとってもよく知られている。とはいえ小さめのものでも4千円以上するからそれは買えなかった。代わりに模様に若干乱れあるため値引きしてある「スリップウェア」を数点買った。
(*)”民藝の器”を生み出す、湯町窯 https://www.muji
「スリップウェア」は、泥漿状の化粧土で装飾する方法(*)。「湯町窯」のスリップウェア陶器の誕生にはバーナード・リーチが関わっている、それはとっても面白い話しなんだけど、ちょっと置いといて…。「ああ、山陰の民藝運動ってのはこういうものだったのか!」って分かったことが嬉しかったから、それに関して書いておく。
(*)日本人が見出した英国のスリップウェア https://table-life.
(*)日本の現代のスリップウェア12選 ・https://table-life.c
「倉敷民藝館」との違い
「民藝運動」といえば、<無名の職人による工芸品、民衆の暮らしから生まれた美を発掘し紹介した運動>だったといえる。「民藝品」を収蔵展示している総本山は最初に造られた「日本民藝館(東京駒場)」で、それに続くのが「倉敷民藝館」だった。
「倉敷民藝館」は、味わいある4つの蔵に様々な民芸品が収められている。昨年、倉敷へ行ったときに訪れた際に建物は面白かったのだが展示品はゼンゼンつまらなく思われた(*)。だが、なぜつまらないのか理由が分からなかった。ところが今回の旅行を経て気づいた。私が昨年「倉敷民藝館」で感じた「つまらなさの理由」は、いずれの展示品も現在の生活との結びつきを失った「過去の遺物」的品々に思われたからだろう…と。
(*)1031 瀬戸内へ旅行した 2 / 倉敷 ②
山陰の民藝は …「新作民芸運動」だった
それに対して今回見た「山陰民藝」の特徴は、<「鳥取民芸美術館」を中心にした「新作民芸運動」>であることだ。ここでの活動は残されていた民藝品を現代風にアレンジした「新しい民芸品」いわば現代に生きる工芸品を産み出すことだった。こうした活動の一番の立役者は「吉田璋也」氏だった。柳宗悦の影響を受けた彼は出身地の鳥取へ医師として戻った後、プロデューサーとなって鳥取の優れた技術を持つ職人たちを育て「鳥取民芸美術館」を造り鳥取の民藝の礎を築いた。
まあ…、そんなこんなで「バーナード・リーチ」、 安来生まれの「河井寬次郎」、「濱田庄司」といった民藝運動の中心人物が、たびたび山陰を訪れて指導したことにくわえて「吉田璋也」が一体となり山陰の民藝運動が隆盛することになった。そのあたりのことは調べて行くとワクワクするほど面白かった。でもめんどっちいからここには書かないけど…。
今回訪れた「湯町窯」と「岩井窯」そして「鳥取民芸美術館」、これらは全て繋がっていた。その他に「出西窯」や「布志名焼」など、山陰の多くの窯元が「今に生きる民藝」の精神によって結ばれていることを知り、とっても感激したのだった。
山陰旅行を振り返る
旅行前一ヶ月間というもの、ボチボチと下準備した。行動の行程を組むためにガイドブックを読んだりネット検索で確認したり相当の時間を費やして調べ物をした。
旅行まえの3日間は一番大変だ!
旅先の天気と気温を調べて衣類を調整し、最小限に絞って荷物を詰める!
乗り継ぎ時間はもちろんレンタカーの走行距離と時間や駐車場の位置、どこで荷物を預けて何時にランチするのか電話番号はと…、パック旅行じゃないから列車・バスののりつぎ、レンタカーの予約など全て計画しなクチャならない。そんな行程を細部まで再確認し修正する。これらは相当めんどっちい作業だ。
今回の荷物はコロコロが付いた列車のd荷物棚に上げられる「キャリーケースが一個」、それ以外は私と奥さんの肩掛けバッグだった。これならばコロコロを400円のコインロッカーに預けて軽快に活動できる。
< あのね、こんなに少ない荷物で旅行出来る人なんか居ないんだよ! みんな荷物が多いから「車」で行くんだよ >
「はあ~そういえばそうだ。二人旅3泊4日をコロコロひとつで旅行してる人は他にいないナ!」
今更ながら、奥さんの旅行手腕に納得した。ともあれ前日・前々日は、冷蔵庫内を整理しながらの献立を考えた食事、洗濯・掃除など、やることは山ほどある。いつもこの時点で「ああ~面倒だ、こんな旅行いっそ行かなきゃ…」いやいやそんなこと言っちゃイカンと自分を戒めるのだった。
さ~て、戻ってからの一ヶ月間は、楽しみつつ思い出しながら記事を書いた。
はじめは、こんなに詳細に旅程をたどって書くつもりは無かった。一昨年の「九州旅行」のブログ記事を見返すと関心ある箇所だけを部分的に記述していた。昨年の「軽井沢旅行」記事ではけっこう旅程を辿ることができる。そして今回は、ほぼ一連の行程を順をおって細かく書いた。この内容ならば十年後に読んだとしても正しく記憶を辿れるだろう。
そうしてみると、旅行自体は3泊4日なんだけど、旅行前1ケ月、旅行後に1ケ月と、都合二ヶ月間の山陰旅行だったともいえるかもね。
熱海の土砂崩れ、山陰の大雨…
7月3日に熱海の土砂崩れがあった。これはひどい人災だ。
これまでは、熱海あたりを列車で通過するたびに「熱海に住んでも良かったカモね…」とか気軽に言っていたのだが、止めておいて良かった!。
その後、7月7日には島根県東部・鳥取県中・西部に顕著な大雨警報。
数日前に目にした島根県立美術館前の橋が画面に写っていた「あ、あそこだよな!」。<〇〇~川が決壊しそうで…>との報道には「あ、あのあたりだよな」って、旅行したおかげで大体の地名と配置が分かっているからけっこう楽しめ?た。ところで、九州から関東まで広範囲に大雨を降らせた梅雨前線もそろそろ弱まり太平洋高気圧がはりだすそうな。さあこれからは雨が上がり夏の気候になるようだ。
え!また行くの?
ところで、7月15~17日の予定で「上高地・松本」へ行くことにした。
この計画は「春に予定していた奄美大島は、さすがに今年、島へ行くのは迷惑だろうから止めた方が良いだろ」となってから、山陰旅行と並行して進めていたものだった。奥さん長年の願い、クラシックホテル宿泊の終着点「上高地帝国ホテル」、それがやっと叶うってわけだ。
娘に伝えたところ、「 え~っ!また行くの?」だった。
我が家は進歩的?だから、「コロナなんだから止めなさいよ」なんて野暮なことは誰も言わない。
ガラスキ快適旅行には今がベストだって分かってるからネ!
オリンピックが無観客試合になっちまって、せっかく当選してた陸上と体操が生で見られなくなって悲しい。でも、その代わりに「上高地」の大パノラマを見に行くぞっ!
山陰旅行、これにて報告終了です。