高原リゾート信州旅行(2)
二日目は、河童橋~明神池往復の7㎞ほどのハイキング。それから松本へ戻り、街中で夕食を食べ、ビジネスHで宿泊した。
星空が見たかった
むかし一度だけ、満天の星空とそこに漂う天の川を見たことがある。
40年ほど前の12月、山スキーを履いて知床半島の付け根、斜里岳の山小屋にたどり着いた。夜半に寒空を見上げると満天の星と天の川が見えた。「宇宙には、こんなに無数の星が有るものかっ!」隙間が無いほどの星で埋め尽くされた夜空に唖然とした。
ホテルの部屋には星座表・コンパス・双眼鏡が備えられていた。高原の上高地ならば、ひょっとしたらそんな星空を眺められるかもと期待した。夜1時にベランダに出てみると空は薄雲、ぼんやりした三日月に星が5つほどかすかに輝いてるだけだった、残念。
喜びの朝
朝4時半に目覚めた。バルコニーに出ると雨もすっかりあがっていた。
「おお~っ、東の空が朝焼けだ!」
穂高連峰の背後に、オレンジ色に照らされた雲がたなびいている。
すごくダイナミックな朝焼けだ!
西側には「焼岳」が朝日を浴びて輝き出した。
空が明るくなるにつれて、色はどんどん変化する。染まった雲に空の青色がかぶさり幻想的な色合いだ。「す、素晴らしい光景だ!」
地表からは温泉地の湯けむりを豪快にしたような湧き立つ雲?が立ち上る。次々に湧き立ち消えてしまうから雲にはならない。これは朝霧なのか朝もやなのか? 何と呼ばれてるのかわからないが、湧き立ちうごめく”モヤモヤ”はまるで生き物のようだった。
タイムラプスで撮ってみた
流れる雲とうねるような朝霧の動きは写真では伝わらない。
そうだ、これをタイムラプス撮影してみようと思った。
タイムラプスは、インターバルを設けて撮影し、それらの写真を連続でつなぎ合わせ動画にするもの。スマホのカメラ機能にあるものの一度も試したことがなかった。いっちょやってみるかってことで、べランダの手すりに安定させて色々と試してみた。
東の空はいつまで見ていても飽きなかった。ぼーっと眺めたり撮影しながらベランダの椅子に座って過ごした。気づいたら6時すぎ、1時間半も経過していた。至福の時間だった。
昨夜の「田舎フレンチ」への不満はこれで帳消しだ。ホテルの価値は設備や食事やもてなしだけじゃない、周囲の景観にもある。梓川の清流と穂高連峰の雄大な景色と一体化して考えると「上高地帝国ホテル」には極めて高い価値があることが理解できた。
朝食はCAかな?
朝食は単体で注文したら3000円の「和食」。田舎風の和食なのだが一つひとつの味が吟味されお見事。とっても気持ちよく食べられた。食事中に私が言った「あのサ~、ここのねーさん達はCAなのかな~?」私がそう言うと奥さんも言った。「私もそう思ったの、仲居さんとは立ち居振る舞いが違うから…」このホテルは季節営業だし、このご時世だがらJALからの出向かも知れなかったな。
ホテル周りを散策
朝食後はのんびりホテルを一周した。
「上高地帝国ホテル」の外観はアルプスの山小屋を思わせる赤い三角屋根と丸太小屋風。本格的山岳リゾートとして90年近くの歴史を持つ。設計者は川奈ホテルなどホテル建築に秀作が多い高橋貞太郎氏。冬場の厳しい気候のため老朽化し1977年に再建された。創業当時は木造だったのだが現在の建物は地下一階・地上四階のRC造り。
新ホテルは開業当時の外観を忠実に再現し、改装後もリゾート・クラシックホテルの旧い姿を維持している。すごく上手なリノベーションだ。仕上げ材として内外装は木造のイメージで、外装基壇部では自然石積み、外部テラスも木造で、建物の内装・外装のどこから見てもRC造りとは思えない。
写真上は玄関とは逆側から撮したもの。私が泊まったのは赤丸印の2Fの部屋だった。こちら側は穂高連峰が眺められる側だからベランダ付き部屋が並んでいる。反対側(玄関側)に較べ、一泊ひとり4千円高い。それでもベランダ付部屋は圧倒的に人気がある。
「明神池」まで
「NATURE TRAIL」は自然遊歩道を散策すること。二日目は、河童橋から明神池を目指した。
コースは、梓川にそって右岸通りと左岸通りの二本ある。
行きはバスターミナル側を河童橋を渡らずに進む、「小梨平」を経る左岸:2.5Kmコース。戻りには右岸:3.5Kmコースで「岳沢湿原」を通ることにした。
気温25度で乾いた空気が心地良い。アップダウンが少なく緩やかな木立の中を、梓川を左に見ながらテクテク歩く。明神岳が近付いてきた。木々が途切れると広い河原が広がった梓川を挟み、すっくと立ち上がった明神岳が見えた。
丸太の「巨大支柱」と、正面に立ちふさがる「明神岳」
おお~凄いアングルだ!
「明神橋」は2003年に架け替えられたとは思えないほどピカピカで立派に見える。ここにくる観光客は少ないから河童橋の喧騒感はない。
「明神池」は神社だった
「明神池」は「穂高神社」の私有地(5.28ヘクタール)の中にある。
「明神池」に向かうと「奥宮」境内入口の鳥居が見えてくる。鳥居をくぐり境内に入ると、正面に奥宮、右手に休憩所、左手に社務所がある。
奥宮の背後にある明神池の拝観には、拝観料が必要だ。300円だと思った参拝料が500円に値上がりしていた。
「池を観るだけで2人で千円か…、高いからやめようや」
そう私が言ったら奥さんに戒められた。
「ここまで来てなに言っているの、あんたホントにケチだね、入るよっ」
「明神池」は明神岳の岩壁直下にある。池に突き出した木の桟橋の先には賽銭箱。入場料にくわえて賽銭か、なかなか世知辛いな。
「明神池」は穂高神社の「奥宮」ということだった。調べてみると「本宮」は穂高駅の脇にあり、さらに「嶺宮(みねみや)」が奥穂高岳(3190m)山頂にあるという。日本アルプスの鎮守の神さま「穂高神社」のテリトリーはすごく広大だ。
ところで、「明神」という呼称は「~大明神」などのように「特別に崇敬される神」って意味だ。古くはこの明神地区あたりが上高地の中心で、「かみこうち」は、「神河内」或いは「神降地」とも書かれていたとか。
「明神池」は…、見て良かった。
「明神池」は梓川の古い流路が明神岳からの崩落によって生まれた堰止湖。一之池と二之池の大小2つからなる池。厳冬の上高地は冬になればマイナス25℃にもなるそうだが、伏流水が湧き出ているため冬でも完全凍結しないそうだ。
「明神池」の水は静かに湧き出し、一之池に遮るものなく穏やかに拡がる(写真上)。二之池へと流れ出た水は岩と枯れ木に彩られた山水庭園のよう(写真中・下)。一之池とニ之池とは様相が異なるところが面白い。ニ之池から先は段差があるから心地よい渓流音を奏でて梓川本流に合流する。
散策路は300mほど。幅広の木道が整備されているから歩きやすい。
「う~む、500円分の価値があったナ…ケチしなくて良かった」。
嘉門次小屋の岩魚の塩焼き
昼食は「嘉門次小屋」で食べた。
「嘉門次小屋」は、猟師をしていた「上條嘉門次」(生涯でクマ80頭、カモシカ500頭は仕止めたと伝えられる)の名前にちなんだ小さな山小屋。「嘉門次」はその経験と勘を生かし、日本近代登山の父ウェストンの案内人も務めたことで有名になった人物。この小屋はもともとは猟小屋として135年前に建てられた。その後に増改築し、現在の小屋は木造平屋建で屋根は切妻造の石置板葺。1日4組限定の宿泊と観光客への食事を提供している。
囲炉裏でじっくり焼いたイワナの塩焼きが名物。
小屋の前にある生け簀に大量のイワナがいた。それを兄さんが網で掬って、包丁でたたっ殺して、串に刺して囲炉裏で焼いたものを食べた。
平時ならば、大人気だから昼時は混雑して食べるのが大変だという。でもコロナだから余裕だった。「どのくらい待つのかな?」と聞いたら「焼き上がりまで、あと20分ですね」と言われた。話によると約40分かけて焼いているという。
「頭も全部食べれますよ」って持ってきてくれた。自然の中での独特なランチでなかなか面白かった。
帰りは右岸歩道で
帰りの「右岸歩道」は、木道や樹林内を小さなアップダウンを繰り返しながら続く。樹林帯や湧き水をたたえる湿原など変化に富んだ景色を楽しめた。距離もあり上りと下りを繰り返すからややきつかった。
タクシーで松本へ
帰りの送迎はバスターミナル発15:00予定。待合せ場所へ行くと送迎車がいなかった。その代わりに黒塗りタクシーの運ちゃんに声をかけられた「○○様でいらしゃいますか?」
どうやら客は私たちだけのため、タクシーに変更されたようだった。松本駅まで1時間20分、はじめてそんなに長い間タクシーに乗車したよ。
松本駅の「アルプス口」でタクシーを降りたら、気温34度C「む~っ」とした熱気に包まれた。松本市の高度は約600メートル、上高地は1500メートルだ。900メートルもの差がある。
「そういえば今まで高原にいたんだった、すっかり忘れてたな。」と笑った。
つづく