女風呂はどうなった?
「日展の彫刻部は女風呂だ」
女性ヌードがズラリと並ぶことから、以前は日展彫刻部がそう言われたものだった。
はてさて、今はどうなってるものやら? そんな好奇心もあって彫刻部を覗いた。
さすがにかつてのような、ズラリ並んで手をあげ下げしてる状況ではなかったが、しかし相変わらず女性のヌード像は多くあった。男性ヌード像もけっこうあるがそれらは「ゾンビ像」のように思われた。抽象ならばいざ知らず、いったい具象彫刻というジャンルは人物を扱うしかないのだろうか?
仏像彫刻として拝み祀る対象としてならばわかる。そして偉人の姿を後世に伝えるために彫像を残すのも理解できる。だが、それ以外の「タダの人物」をモデルにした具象彫刻に、何の意味を持たせられるのだろう?。
モノに宿る心性って…
私が中学校の修学旅行に京都へ行った際、ミニュチュアの「大仏さま」の土産品を買った。家に持ち帰ってから祖父に訊いた。
「仏壇の真ん中にあるのは仏様の像だよね。この像はそれとどう違うんだろ?」じいさんが応えた。「ボウズ(私はそう呼ばれていた)、おっさまを呼んで『魂入れ』ってのをすれば仏様になる。」そんなこと言われた記憶がある。
また4年前、愛知にある実家を売却したときのことなのだが、取り壊し前に「神棚」と「仏壇」の処分方法に困った。
「こういうものはどうやって始末したら良いんだろ~」不動産屋にそう尋ねたところ、
「私が処分しますから、そのままでい~ですよ。」って言われた。
しかし、どうにも気が収まらなくて、2万円で神主さんを呼んでお祓いをしてもらい『魂抜き』をした。こんなこと、ご先祖さまへの実家処分の言い訳に過ぎないのだろうが、心理的にそうせざるを得なかった。
仏像や神棚に限らず、モノには心性が絡んでいると思う。断捨離を決意して、思い切って捨てようと思いながらも捨てきれない想いもある。人の想いってのは簡単には割り切れないものだ。
現代のフィギュアの方が…
先日行った秋葉原の「ラジオ会館」が、今や「オタク会館」となり、フィギアばかり並んでる売り場が幾つもあった。「どこが面白くってこんなお人形なんかを買うんんだろ~」と、私には思えたのだが、人は趣味嗜好が異なるから何とも言えないが…。
しかし、意味のある無しを言えば、小さくて手元に置いて愛玩できる現代のフィギュアの方が、日展彫刻部の彫刻よりも、ずっと意味が感じられるというものだ。でも、かつては「リカちゃん人形」ってのが流行った時代もある。まあ~、あれは着せ替えできるから実用性を持った子供向けだ。現代のフィギュアは並べて愛でるだけだからちょっと違うだろうな。
減少する出品者
昨年の応募数と入選数を見て驚いた。
「応募数87点なのに入選数は66点」入選率75%。
これじゃ、落選するほうが難しい。
社内から5人受け、一人だけ不合格のこむろけー並みだろ。
「彫刻」というジャンルの不人気ぶりが炙りだされている。
「自由美術展」の彫刻部も相当衰退していたのだが、「彫刻」全般の地盤沈下が著しい。
いっそ「彫刻部」改め「フィギュア部」にすればイメージが変わって、もっと応募数が増えるかも。
それとも「落選室」でも作って落選と入選との違いを解説したら面白い上に教育的でもあるのでは?
明日は、「書」です、