2030 桜を見るかい

プチ旅行

あこがれの「千鳥ヶ淵の花見」

関東に転居以来ずっと「千鳥ヶ淵」へ花見に行きたいと思っていた。
昨年の3月末は、トンボロ」体験に西伊豆旅行したから「千鳥ヶ淵」へは行けなかったが、転居3年目の今年には、やっと行くことができた。
花見だけじゃモノたりないから、官庁街を経て皇居外苑をかすめて日比谷まで歩くことにした。

何としても今年こそは

早くも18日に開花宣言がなされた。だがその後は天候が安定しなかった。22日は最高気温がなんと5度! 真冬に逆戻りした。25日になると急に気温が上がった。26・27は荒れ模様で残念。
出かけたのは28(月)、晴れ・最高気温17度これ以上ないベストな条件だった!

千鳥ヶ淵さんぽみち

千鳥ヶ淵緑道」は都内の花見スポットの中でも白眉とされる。
北の丸公園(田安門口)から千鳥ケ淵戦没者墓苑(墓苑入口交差点)に至る700メートルにはソメイヨシが二百数十本ある。濠の水面に浮かぶ桜の花びら、石垣の桜、それから濠に突き出している桜の枝。様々な表情を見せている桜の「花」もさることながら、「老いた幹と枝」が無骨にうごめくような迫力をもっている。

<日曜日には、押すな押すなの大混雑で、冗談のようだが人いきれで息苦しくなるほど>
通常はそれほどの大人気だと言う。コロナ禍今回はそれほどじゃなかったが、多くのいろんな世代の人たちが連れだって歩いていた。都心の真ん中でこれほどの景色に出会えるのだから、皆さん実に幸せそうだった。

スライドショーを作った

「千鳥ヶ淵緑道」の桜見物はスライドショーでご覧ください。
(3/31,11時に、YouTubeにUPします)

門って、凄いモンだった

「満開桜」には大感激したのだがそれ以外に「門の立派にも感動した。

散策路には3つの門「田安門」「半蔵門」「桜田門」がある。
「田安門」(下図左円)は住居に由来し「田安殿」に渡るための橋がある。「半蔵門」(下図右円)は人名に由来しており、この門の警固を担当した服部半蔵に由来する。

田安門を抜けると「あれっ」二つめの門がある。こっちの方がデカい。城の門って二つあることに、初めて気づいた。

調べてみると、これは「枡形虎口(ますがたこぐち)」というもので「四角い形の出入口」。枡形に敵を誘い込んで身動きが取れないように封じ込め、そこに三方から集中攻撃をかけて仕留める!城門構造の完成形といわれるそうな。

これまで、天守と石垣ばかりに関心があったが、城郭にはもっといろんな面白さが潜んでいるようだ。

ところで「桜田門」に着いた時のこと。「桜田門」だけあって、門の周囲にはさぞや桜の木がいっぱいあるだろうと予想していたのだが、「桜の木」がほとんど無い。門脇に一本だけあるのだが背丈が低く華やかではない。なんとなく寂しいと思いつつ近寄ると、いかにも味わいある老木だった。
「う~ん、これ一本だけでも満足するモンだな」
「千鳥ヶ淵緑道」の賑わいぶりとは対照的で、利休と秀吉の「一輪の朝顔」を思い出した(文末に註)。

その後、官庁街を経て「ミッドタウン日比谷」へ。
地下1階の「ヒビヤフードホール」はお手頃だった。「ハイボール=ハッピーアワー」で350円。
ちょっと喉を潤して帰宅。

満足至極の春の一日だった。
おわり

<註>

<「桜田門」の由来>
門名・橋名は、古くこの辺を桜田郷と呼んで いたことにちなむ。この門は小田原街道の起点であり、徳川家康関東入国以前はここに関所の木戸門を設け、小田原門と呼んでいたという。

<一輪の朝顔>
利休がその庭に咲き誇った朝顔が見事なので、秀吉を「朝顔を眺めながらの茶会」に誘った。秀吉は「利休が誘うほどだから、さぞかし見事な朝顔であろう」と期待します。だが、秀吉が利休の屋敷を訪れると、朝顔は全てその花を切られていた。そして、茶室に入ると、一輪だけ朝顔が飾られていた。一輪であるがゆえに、侘びの茶室を見事に飾る。これを見て、秀吉は利休の美学に感嘆したという。

<「桜を見る会」問題の概略>
4月中旬、新宿御苑にて各界の功労者を招待する「観桜会」があった。これは皇室主催の行事として明治時代からあり、当初は国際親善が目的だった。問題になったのは安倍元首相の後援会が主催した「桜を見る会」前夜の夕食会収支をめぐる件だった。政治家が支援者への招待枠を持っていたのではないか。費用を参加者個人が支払ったのか、後援会が支払ったのかということだった。2021年12月「不起訴不当」で幕を閉じた。

 

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