0627 4日目の宿は「沖縄ホテル」(石垣・沖縄旅行❾)

石垣・那覇旅行

博物館の「おきみゅー」からバスに乗り、ゆいレール栄町駅前へ。
今夜の宿の「沖縄ホテル」まで一旦行って荷物を預けてから、夕食の「うりずん」へと向かった。

「うりずん」は旨いけど…

「うりずん」は沖縄の本土復帰の1972年創業。
居酒屋風だけど、沖縄の家庭料理から宮廷料理まで食べられる老舗店として有名。沖縄県内の47酒造所の泡盛が飲め、名物の「どぅる天」はうりずんが発祥。もちろん旅行前に予約しておいた。

外観も内部も、とても味わいがあった。

席は1Fカウンター席だった。おねーさんがテキパキと働く姿がよく見える。この方が司令塔で受けた注文をさばいていた。

メニューの数がとても多い。他の店では見かけないような沖縄料理もけっこうあった。写真付きの一覧があるからとっても分かりやすい。合理的でよく出来たメニュー表だった。

食べた料理は、ジーマーミ豆腐、血イリチー、ナーベーラー、ドゥルワカシー、らっきょう浅漬、海ぶどう。


・ジーマミーは石垣の方が旨かった。
・血イリチーは豚肉や内臓を新鮮な血と共に炒めたもの。
・ドゥルワカシーは田芋に豚肉、かまぼこ、しいたけを混ぜて練り合わせたもの。これをコロッケ状にまとめてカラッと揚げたのが「ドゥル天」で、この方が有名。だけど、ドゥルワカシーは生っぽい感じでスゴク旨かったぞ。
・ナーベーラーは、へちまを豆腐や野菜と豚肉を味噌で煮込む煮物と汁物の中間位の料理。
・らっきょう浅漬 島らっきょうは初めて食べたけど、シャキシャキしたとても新鮮な味わいだった。

酒は「うりずん特製古酒8年もの」を、グラスのロックで頼んだのだがえらく量が少ない
メニューをよ~く見たら「グラスは45ml」、なんと一合の四分の一しか入ってないこれで一杯713円。一口で終わっちゃう、だから酒は一杯だけで止めた。
8年もの古酒」の味は…、う~ん少なすぎてワカランかった。

会計の際に「記念に注文表をください」と言ったら、これは渡せないってことだったので写メした >

すべての値段が相場より高い。
たいして飲み食いしてないのに6千円超え。ほとんどが各600円で、海ぶどうなんか1100円もした
那覇でトップクラスの味の店だと言うし、店員さんの対応もとても良い。
けれども値段が…ネ。
料理の味と雰囲気を楽しんだと割り切れば、ま~こんなものなのかな。

栄町市場には近づくな

「うりずん」「栄町市場」の中にあった。
栄町市場は、ゆいレール安里駅の東のエリア。ここにはひめゆり学徒隊で有名な沖縄県立第一高等女学校があった。戦後その跡地にできたのが栄町市場。昼間は青果精肉店・豆腐店・洋裁店などがある市場だけれど、夜になると飲み屋街にガラリと変わる。

「栄町市場は、いったん入ると出られなくなるゾ~」とのネット書き込みがあった。
入り組んだ細い路地はまるで迷路。たしかに迷い込んだら出られそうもなかった。
外の通りから覗くだけにとどめた。

「りうぼう」で遊ぶ

「うりずん」を出てから「りうぼう」へ行った。

「うり」とか「りう」とか、よく似た名称だが「りうぼう」の店名は貿易商事株式会社」だったことに由来。那覇を中心に13店舗を展開するスーパーマーケット。

棚には、いろんな沖縄料理が並んでた。
◉味付きてびち塩、◉オキハム味付ミミガー、◉ぬちまーすスーチカ、◉オキハム沖縄ラフティ、◉オキハム味付軟骨ノー、◉ハモンセラーノ、◉ミートラフティスライス、◉いなむどうち 

「スーパーの買い物好きな私」にとっては、オモシロ商品がこんなに並んでるのを見て狂喜した
でも旅行中だから、いくら欲しくとも買ってはいけない。

「うう~いいな~」って、ヨダレ垂らしてたら奥さんが言った。
「明日、ホテルから荷物ひとつ送るから、それに入れて送ってもよいよ」

そこで、ダンボールに並んでる◉ぜんざい、◉軟骨ソーキ、◉中味汁を選んだ。
これらを作ってるメーカーの「オキハム」沖縄ハム総合食品」という食肉加工業。この会社は、昭和57年に、全国初のレトルトカレー以外の「汁物」をレトルトパウチ食品にした。
帰宅後味わった「軟骨ソーキ」は、めっぽう旨かった。

最古の「沖縄ホテル」?

プランニングの時点で、クラシックホテル好きの奥さんが言った。

「那覇では「沖縄ホテル」と「沖縄ハーバービューホテル」に泊まるよ」
「沖縄ホテル…? そんな名前のホテルがあるんか?」
「あるよ。那覇で一番古いホテルだよ。ちなみにハーバービューは二番目に古いホテルだよ。」
「ゲっ、高いんじゃないのか~?」
「けっこう安いよ。」

「沖縄ホテル」の概要
沖縄で最初の観光ホテル沖縄県唯一の貴賓ホテルとして開業した。当時は、那覇市の波の上に地下1階、地上3階建ての「沖縄ホテル」を設立。
戦後の昭和26年(1951年)那覇市大道(現在地)に2階建て7室の木造レンガ造りの「沖縄ホテル」を再開した。以後ここには山下清、棟方志功、柴田錬三郎、益子焼で有名な浜田庄司などが宿泊したそう。昭和35年(1960年)現在の旅館棟が完成し、10年後の昭和45年(1970年)にホテル棟が建設した

「沖縄ハーバービューホテル」
天皇陛下も泊まられた「沖縄ハーバービューホテル」は伝統と格式がある、那覇市における本格的な「都市ホテル」。本土復帰後の沖縄を代表する都市ホテルとなることが期待されていました。現在は沖縄の迎賓館ホテルとして親しまれ、伝統のホスピタリティーと国際クラスのサービスをご提供。

おおっ、入り口が立派っ「沖縄ホテル」

「沖縄ホテル」と書かれた門柱脇に立つと、長いアプローチの先に「赤い門」がある。
どこに建物があるんか? 全く見えない。

門をくぐった先は広~い駐車場。入り口はさらにその先にあった。

一見、病院のようにも見える3F建ての白い建物。
じつはこのホテルは、しばらくの間は営業休止していた。それはコロナ禍もあり同時にホテル棟の大改修によってお休みしていたようだった。
でも最近になり「旅館棟」のみ営業することとなり、おかげで私達の宿泊が可能になったのだった。

外部と同じく建物内部もだいぶ古さが感じられた。
部屋のつくりは公務員共済組合の宿泊所に近いものがある。オンボロ宿泊所を泊まり歩いたワシらには、それと比べればこの宿は最高峰ダ。
和室に泊まるのは久しぶり、いいねいいねダ…。
畳や布団が、とっても懐かしい気がした。

5日目の朝食

朝食はフツーの和食だけど、何と部屋食だった
このところバイキングや沖縄料理ばかりだったから、むしろ新鮮。
お膳を運んできたインドネシア人(ワカランけど)らしき従業員兄ちゃんが言った。
「食べ終ワッタラ電話クダサい。コーヒーオモチシマス。」
ほとんど他に宿泊者がいないから、至れり尽くせりだ。
朝から大浴場も独り占め、とってものんびりできた。

ところで、この「沖縄ホテル」は、朝食付 6600円☓2=¥13,200
激安だった。

5日目につづく

 

タイトルとURLをコピーしました