1006 江ノ電サンポ

プチ旅行

「江ノ電」は距離わずか10 kmの鉄道路線。車体サイズは路面電車並みでレトロな外観。TVドラマの影響で高感度UPし観光客増加で15年連続黒字。通常の土日は観光客で地元民が乗り切れないほどとか。
数日後の9月30日にコロナ制限が解除されたら、きっと再びスゴイ人出になるのでは…、行くならば自粛期間の今のうちだ。そういうことで江ノ電に乗りに行った。

また!、横浜駅で間違えた

私は「横浜駅が苦手」だ!。
2年前<箱根>へ行く際は「小田原行きに乗りゃ良いんだから簡単だろう…」と思い、何も調べず横浜駅へ行った。そしたらホームの数が多過ぎて、どれに乗れば良いのか分からずウロウロし、横浜を出発するのに30分かかった。「小田原へ行くのも、なかなかタイヘンよね~」って奥さんからイヤミを言われた。
そして昨年、鎌倉へ行く際には横浜駅で一人で飛び乗って、奥さんをおいてけぼりする大チョンボした。

なんと、ホーム番線「6」と「9」を間違えてた?

今回は、<「横須賀線」に乗り「鎌倉駅」乗換えで江ノ電に乗る>ことにした。今度こそはスマートに乗車しようと思って、前夜に乗車ホームや発車時刻を入念に下調べした。

横浜駅を出て江ノ電に乗るには二つのルートがある。
(A)横須賀線で「鎌倉駅」乗換え=9番ホーム
(B)東海道線:湘南ラインで「藤沢駅」乗換え=6番ホーム

ところが何ということでしょう、またもや「横浜駅のホームで迷って」しまった私が昨夜書いたメモには、横須賀線は「6番ホーム」とある。それを見て元気にホームに出てみたらどこか変だ。

「アレ~ッ? ここは湘南ラインだ…!?」
なんと「6」と「9」の数字を逆にメモしてたのだった。
きつねに摘まれたよう… こんなポカするなんて信じられない。

「なにやってるのよ!」と奥さんから白い目で睨まれた。
うなだれながら6番ホームの階段を降り、9番ホームへと向かった。
やっぱり私にとって横浜駅ホームは鬼門だった。

今日のテーマ

私は、江ノ島は好きだからこれまでに幾度も行った。七里ヶ浜駅ではプリンスホテルに泊まったことがある。極楽寺や長谷寺、大仏もこれまでに何度も行った。だから今日は海岸沿いの「鎌倉高校前駅」~「稲村ヶ崎駅」の海沿いを楽しみたいと思った。
ところで、私には鵠沼と由比ヶ浜に親戚があった。でも最後にお宅に伺ったのは大学生の頃だから50年にもなる。由比ヶ浜のお宅は伯父が亡くなり10年たつ。今日はそのお宅確認もしたいと思った。

まずは「鎌倉高校前駅」へ

横浜駅で落ち込んだ気持ちも江ノ電に乗ったらすぐに復活した。可愛らしい江ノ電にゴトゴト揺られて「鎌倉高校前駅」で下車して「鎌倉高校前1号踏切」の坂道で列車が来るのを待った。

ここはアニメスラムダンクの踏切とも言われるそうだ。
合唱に懸ける高校生たちを描いた『TARI TARI』や、よさこいに励む女子中学生たちを描いた『ハナヤマタ』にも登場する“聖地”なそうだ。
そのあたりのアニメを私は全くしらないけれど、いつかどこかで見たことあるような…海辺と一帯になったこの踏切は、そんなデジャブを思わせる懐かしさを覚えた。

駅前の砂浜に降り、しばし波の音を聞いた。サーファー達の影が波の間に間に浮かび漂っている。平日なれどもすごい数のサーファーだ。目の前に拡がる海と空は非日常的で別世界、心の中がカラッポになる。
「やっぱり湘南の海辺はええなぁ~」って思った。

その後、列車が来るまでホームのベンチに座りながら目の前に広がる青い海をのんびり眺めた。空が澄んでれば真正面に伊豆大島の島影、西には富士山が見えるはずだがあいにくだった。

稲村ヶ崎メーショーの

「鎌倉高校前駅」から江ノ電に乗り、2駅前の「稲村ヶ崎」まで戻った。
「稲村ヶ崎」といえば、私に何となく思い浮かぶフレーズは< ♪稲~村ヶ崎~め~しょ~の… > 
「め~しょ~のは、名所かな?」って思っていたのだが全然ちがった。
< ♪ 七里ヶ浜の磯づたい稲村ヶ崎 名将の剣投ぜし古戦場・・♪ >だった。

名将とは新田義貞のこと。
< 鎌倉時代末期の1333年に挙兵した新田義貞は、内陸から切通しの突破に失敗し、稲村ヶ崎の海岸からの鎌倉侵攻に作戦を変更した。稲村ヶ崎の海岸を渡ろうとしたが崖で道が狭く軍勢が稲村ヶ崎を越えられなかった。そこで、義貞が潮が引くのを念じて剣を投じると、見るまに潮が引いて干潟となったという伝説が『太平記』に記されている。その逸話が「剣(ツルギ)投ぜし古戦場」として唱われた文部省唱歌の「鎌倉」。>

地図を見るとたしかに「稲村ヶ崎」は、海辺を伝い鎌倉へ入るのに大きな障害となる岬だ。海岸を見ると、稲村ヶ崎で砂浜が終わり岩場が始まっている。なるほど、これでは軍勢が海岸伝いで鎌倉侵攻するのは無理だったのがわかった。

卵かけご飯で疲れた

稲村ヶ崎で下車した一番の理由は「ヨリドコロ」でランチするためだった。
鎌倉「ヨリドコロ」は稲村ヶ崎駅から徒歩2分、線路沿いの古民家カフェ … ふうのメシ処

すぐ横に線路が敷かれており、江ノ電が行き交う。店内にいるとゴトゴト・キーキーと走行音や車輪が軋む音が聞こえる。もちろん揺れるし。
ここは江ノ電との一体化やレトロ感により大人気店だ。だから行列は必至!
でもそこはソレ、今はマダ緊急事態宣言の実施期間中だっ!。11時開店の10分前に着いたら3組並んでるだけだった。

ここは元は干物屋さんだったそうだ。人気店にありがちな奢ったところがなく、店員さん腰が低くて気持ちが良かった。ふわふわ卵かけご飯は30分ぐるぐるして疲れたがイロイロ面白かった。

文字で説明するのはめんどうだから、以下の記事を読んでくださいな。
<鎌倉「ヨリドコロ」混雑の回避法!予約はできる?おすすめメニューも紹介♫>

◆もうひとつの卵かけご飯の作り方。
<白身だけご飯にかけ、メレンゲ状態になるまで箸でかき混ぜ、黄身をのせる。>
https://syufu-tatu.com/11729.html

席がレジのすぐ脇だったから、店員さんとお客さんの会話が良く聞こえた。「30日に解除されるって言うから今日来たのよ…」「解除したら混んじゃうでしょ…」皆さんそんなこと言っていた。

六地蔵で家探し

食後は「稲村ヶ崎駅」から乗り「和田塚」で降りて、伯父の家を探した。
前日、昔の年賀状の住所を頼りにグーグルマップで探した。しかし画像では家が建て込んでいてよく分からなかった。すぐ近くに「六地蔵」があること、板塀に囲まれた広い庭、2階建ての日本家屋のことだけおぼえてたのだが…。
入り組んだ路地をウロウロしてさがした。
バイクの郵便配達さんに出会ったから尋ねたがわからないという。地番が二つに別れて2軒の家と空き地があった。伯父が亡くなり早十年、その息子さんはいま腰越に住んでるから売却したのかも。広い土地だったから3つに分割されたのかも… ってあきらめた。

御成通り商店街

すぐ脇の「御成商店街」を歩いて鎌倉駅へと向かった。
「御成商店街」は、鎌倉駅から海岸方面へ300mほどの通り。
<御成(おなり・御成り)>とは、貴人、天下人、将軍らが外出することをいう。時代劇で見る「殿様のおな~り~」ってやつだ。この土地の「御成」の呼び名は、かつて大型武家屋敷があったり、皇室の避暑地でもあったことから名付けられという。
大きなロータリーがある鎌倉駅東口がオモテ駅前。そこは「小町通り」や「若宮大路」があり観光客でごった返す。それに対して西口は駅裏だから、案外静かで落ち着いていて好ましかった。

コロナの影響は甚大だ

観光地は「人出が命」だ。人出が少なきゃどうにもならない。
鎌倉駅西口の「御成商店街」は多くの店が休業の張り紙してシャッターをおろしていた。東口へ回って「小町通り」を歩いてみたが人通りは少なかった。以前来た時の押すな押すなの賑わいは何処へ…。
事前に調べておいた「喫茶」や「お休み処」もけっこう休業中だった。潰れちゃったのか?休業中かはわからないがいずこもタイヘンだろうな。

さ~て、10月からやっと自粛開襟だ。素直な皆さんはこれからドッと動き出すだろう。わたしのような不真面目老人は、宣言期間中に旅行しまくり遊びまくったわけさ。そして解除後のこれからの混雑や行列を静かに見守ろうってわけサ。

ところで、今回の江ノ電旅行も奥さんの発案だった。
「海を見て、ヨリドコロでランチして、御成通りで…」
「ねっ、鎌倉行きたいでショっ!」
「ウ~ …ハイ…いきたいですぅ(ホントは…行かなくてもいいんだけど)ってことだった。

戻って数日したら奥さんが言った。
う~ん、これから行くのは大倉山と箱根かな… 毎週、どこかに行こうね (^^)… 」
「ウ~ … (-_-;) 」
奥さんのお出かけ好きは止まらない!

おわり

おまけ

それにしても、この方が総理にならなくて良かったね。

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