30年ぶりに国立新美術館へ「自由美術展」を観にいった。その後、秋葉原へ行ったらメイドが寄ってきて大迷惑、そんな話だ。
庵野秀明って?
朝10時すぎに国立新美術館に着いた。あたりにほとんど人影が無い中を「庵野秀明展」の入り口に行列ができていた。
すでに時間を過ぎた「10時入場」の列に、まだ20人ぐらい並んでる。券売所のおね~さんにきいたら「入場制限してるので10分待ちぐらいですね」と言っていた。
庵野秀明という名前はこれまでも「眼」にしたことがあったが、私はそれを「おれのひであき」って読んでいた。今回はじめて「俺」じゃなくて「庵(アン)」だってことに気づいた。こんなに行列ができるのだから彼は大した人気者のようだ。でも、私はアニメにほとんど興味ないから、もちろんスルーした。
30年ぶりの「自由美術展」
昨年の公募展はコロナでほとんど全滅だったが今年の秋はほぼ復活。一昨年には二紀展と独立展を観たので今年は「自由美術展」を観てみようと思った。
私はかつて自由美術展に出品していた。
初出品は1976(S51)年で佳作賞を3度とった。会員を辞退したのが1990(H2)年だからその間の14年は毎年観ていた。退会以降は一度も観ていないから30年ぶり。あまりに時が経ちすぎて、会場に入る時には何か怖いものを見るような気がした。
「変わらない」不思議さ
会場に入って驚いた「全然変わってない!」
私が30年ぶりの自由美術展に期待していたことは「どんな風に変わったのだろう?」ってことだった。でも、驚くほど変化が見られなかったので愕然とした。
かつて自由美術の特徴は「抽象と幻想的具象」だったが、相変わらずそのままだ。昔の中心的メンバーはほとんど抜け去り、出品者は知らない名前ばかり。名が知られたスター的な作家はもう誰もいない。だが展示作品の傾向や雰囲気は昔のままだった。
もともと自由美術展の作品は「チープ」だった。額縁に「ガムテープ」を貼ったり3ミリ厚の薄いべニア板を打ち付けたり、良くてせいぜい市販のアルミ枠など、いわば「みすぼらしい」額装の作品ばかりが並んでいた。でも私はそんな素朴な表現姿勢に共鳴して出品し始めたのだった。
30年後の作品展示はもっと「スッキリ」していた。全作品一段掛け展示。小品展示のコーナーも作られ、会員/一般の区別もないから出品者たちがのびのび制作している感じがする。多くの公募展にみられる強すぎる主張による圧迫感がほとんど無い雰囲気はとっても心地良かった。こんなにリラックスして観られるのならば、今後も自由美術展を観にきても良いかなと思った。
でも、変だよな
予想通りほとんど観客が居なかった。お客さんが居ない静まり返った中で思った。「30年を経ても変わらないのだから、この会の雰囲気はこれからもキット変わらないだろう。でも、これって何かヘンだ?」時代がこれ程激しく変化している中を「ほとんど変化していない」ということは「表現として問題ある」のでは?
出品者は圧倒的に女性が多くなり、展示作品数がすごく少なくなっていた。彫刻部はさらに作品数が少ない。この減少率から言えば20年後には消滅か…な?…そんなことを思いながら会場を後にした。
ついでに無料の「一期展」へ
「二紀展」なら知ってるけど「一期展」ってなんや? 無料だったから、ついでに初めて観てみた。
「客が多い!」 ほとんど無人の自由美術展に比べて客が多くてにぎやかだった。この会の出品者はどうやら「日曜画家的な方々」のようだ。おばさまたちが寄り集まって「くっちゃベッてる」。でもとっても楽しそうだ。
会の概要紹介にはこんなことが書いてある。
< 私達、一期会は封建的な画壇から脱却し、自由で斬新な絵画を目指している美術団体です。一期会は設立以来、互いに認め合い、励まし合いながら誠実な展覧を常に心がけております。>
「賞」の数がものすごく多い。褒めて育てる方針のようだ。和気あいあいとした、こんな公募展もあって良いだろうね。
久しぶりの秋葉原
私がむかし田舎から大学に進学し、東京はどこへ行けばよいのかわからんかった時に一番楽しかったのは秋葉原だった。
昔は町中にオーディオ製品を展示している店が少なかったから、秋葉原で現物を実際に確認できることがすごくうれしかった。なけなしの金でサンスイのスピーカーやラジオやデッキを
買った時はほんとに嬉しかった。秋葉原は、私の若い頃にそんな喜びを与えてくれる町だった。
今回、秋葉原へは「エルゴトロンのモニターアーム」の現物を見たいと思って行ったのだった。
昔とちがって今や大規模な家電量販店があちこちにある。だからパソコン関連の現物も大体近場で確認できるから秋葉原へ行く理由はほとんどなくなった。
「エルゴトロン」はバカ高いから横浜ヨドバシには実物が置いてなかった。だから秋葉原へ行ったのだが十年ぶりくらいだった。
まず行ったのは「ヨドバシAKIBA」。ここはビル自体は巨大だが家電売り場は「普通~」で、モニターアーム売り場は横浜ヨドバシと同じくらい少なかった。次に向かったのは「ツクモ電気」それらの売り場でお目当てのモニターアームを確認できたのだが、私の目的には合わないことが分かった。
でも、それからは久しぶりだったから、どこへ行けばよいやらわからなかった。
メイドが…
ウロウロしてる時きだった。
道端にやっぱり居た、客引きメイド服が。
昔と違ってるのは「マスク」してること!
す~っと寄って来る…
「来るなっ、近づいて来るな」
声には出さないが、私が嫌がっていることを感づくと、す~っと引き下がってゆく。
「チっ、うるさい奴だ」そう思って歩いていくと…
チラシを手にした新たなメイドがまたフ~っと寄ってくる…
50M歩くのに3人も。
「も~、厄介な奴らだなあ、シッシッ!」
わたしゃもう永いこと、若い娘の相手して飽きちゃってるんだから勘弁してくれよ~
電気街はオタク街だった
駅前に戻ったら「ラジオ会館」があった。ここは「…無線」などの店名で、真空管やアマチュア無線機、ケーブルや半導体パーツなどを販売する小規模店舗がいくつも入居しているビルってのが私の記憶だった。
ところが今は全然違っていた。どういうわけかカードゲームの専門店や海洋堂などのホビーショップばっかりだった。
いったい、いつのまにオタク向け店舗ばっかりになちまったのか? 電気街として発展した秋葉原が「オタクの聖地」へと変貌したって話は聞いていたが、「ラジオ会館」が「オタク会館」になったってことは聞いていなかった。
すごく悲しい気持ちだった。
秋葉原駅から横浜駅までは京浜東北線直通で45分。ゆっくり座って帰宅した。秋葉原へ行くのはとっても便利だけれど、もう行くことも無いのかな…って思った。
おわり