「彫刻棟」で満たされた心で「総合工房棟」へ向かう。
構内の一番奥だから、あたりにお客さんは誰もいない。
入口が分からなくて、彫刻棟わきの「金工棟」へ入りかけた。
「おっと違うな、じゃ~ココなのか?」って、その脇にある「鉄の扉」を開けた(TOP写真)。
暗がりにスポットライトに照らし出された作品がありホッとした。
「ここじゃないよな~」と思いつつ開けたところが入り口だった。
この辺りは学外者には難しい場所だった。
どこが「先端」なのか?
1Fは「先端芸術表現」との案内がある。
暗がりライトに、ところどころポツンぽつんと、さみし気に作品が置かれている。
映像自体で見せるものや映像活用した作品が多い。
何んとなくおもしろくない。一様に元気がない。
作品はぜんぜん先端的じゃない。
「先端表現」という専攻のネーミングが、観る者に内容を期待させてしまうのかも。
「先端じゃない表現」にした方がいいな。
建築展示がにぎやかだ
デザインは学部生と修了生が混在した展示で、作品数は多くない。
それに比べて建築展示が多かった。学生数の割には展示物が異様に多く、意欲的に感じられた。
一つ一つはとても思考が伸び伸びしてる。建築というよりデザインだろっていう展示物もけっこうある。いろいろ工夫したアクロバティックな展示も多いが、思考のプレゼンという点ではまだまだもどかしそうだった。
しかし、建築ならば将来的にプレゼンの出来が大切なのだから、展示に力を入れる理由も理解できる。パワーが感じられ、藝大の建築科を見直した次第なり。
さて、藝大展示の面白さについて考えた
「絵を描きなさい」
これが藝大「油画」の令和2年「第二次実技試験の問題」だった。
ウソじゃ無いよ。
でも、この内容は絵画実技問題の終着駅だ。翌年の問題はどうしたのだろう?
入学したての頃は、おそらく学生の皆さんヘトヘトになってる。
スポンジの水を絞り切ったような腑抜けの体に、各種栄養をいっぱい与えるのが大学教育だと思う。
大谷だって、日ハムに入ったばかりはヒョロだった。
日ハムの育成プログラムのおかげで今の大活躍があるんだろ。
だから、まだ4~6年しかトレーニングしていない彼らに、見かけの良い上品な、いわゆる「まともな作品」を求めてはいけない。
都美術館、国立新美術館での「公募展」が面白く無いのは、背伸びして見かけだけナントカ…って作品が多いからだ。
それに対して「藝大の卒制展」には粗削りで破天荒、どこかヘンだけど何かありそう、
そんな作品がけっこうあるから面白いのだろう。そう思った。