行動・新制作・独立・二紀・日展
秋になり、幾つかの東京の公募展へ行った。
そして思った。
「相変わらずだな~、やっぱり公募展の展示だよなッ」
昨年、もう二度と来ること無いなって思った「日展」は
一通り観ただけで疲れた。
他の公募展も例年どおりで、いずれも退屈だった。
その数日後「ハマ展」へ行った。
「ハマ展」は、横浜市民を対象にした美術公募展。
「会場が近いから一度行ってみるか」
そんな義務感から行ってみたのだが…
< すご~く良かった!>
だから全作品を撮影してYouTubeにアップしたんだよ。
「ハマ展」とは?
1919年に誕生した市民展の「横浜美術展」は
かつて「横展」の愛称で呼ばれていた。
「ハマ展」という名称になったのは戦後間もない1946年
それから数えて78年目になるそう。
現在の「ハマ展」は洋画・日本画・彫刻立体・写真の4部門
約250人の会員・会友が所属するけっこう大所帯の団体。
会場の「横浜市民ギャラリー」は紅葉坂を登りきった奥にある。
「なぜこんな場所にあるの?」って思うほど
「ヘンなところ」にある。
私のばあい歩いて15分ほどだけど、
どうにも行く気にならないギャラリーだった。
これまでも前を通ったことがあるものの、一度も入ったことが無かった。
でも、今回は意を決して行ってみた。
展示会場は酷かった
建物の外観、特に入り口が変わってる。
さらに内部に入っても驚いた「なんじゃ、この建物?」
地下1Fから3Fまで、階段をのぼり降りしなくちゃならん
天井が低くて照明も不十分。
「コリャ酷いな」って思った。
この建物は、もとは横浜市職員の研修・宿泊施設「いせやま会館」だった。
それを2014年に「展示施設」に改修したもの。
以前の市民ギャラリーは関内駅前にあった。
だが、それが2011東日本大震災の影響で閉鎖され
そのため現在の場所に移転したのだった。
駅から距離があり高台にあるから高齢者に不便。
だから、桜木町駅前から無料シャトルバスを20分間隔で走らせている。
ま~そういう「難あり」会場なんだ。
展示作品は千差万別
第1室は地下1階。
ここには100~130号サイズの絵画と彫刻類の展示。
上野で見るような普通レベルの作品が並んでいた。
彫刻類は小品が多い。
1F~3Fへと、昇るにつれ絵のサイズが小さくなる。
それにつれて技術不足、いわゆる「ヘタな絵」が混ざるようになる。
「形が歪んでるヨ」
「汚い塗りだな~」
「こんなテーマを絵にするのは無理だろ」
「やっぱり市民展ってこんなものだよな~」
そう思った。
「ヘタくそ」作者の姿が…
ところがおかしなもので、その「ヘタくそな絵」が、
「ある説得力」をもって訴えかけてるような気がしてきた。
それが何なのか上手く言えないのだが、
「心に響く何か」を感じるようになった。
それは作品ごとに異なる中身なんだけど
<こんな感じを伝えたい…>
<この気持ちを…描きたいんだけれど>
「ヘタくそ絵」の作者にあるのは、ただそれだけ…
そうした作者の感情が、私には「感じられる」ようになった。
描いている「作者の姿」まで見えるような気がした。
「うまいか下手か」考えないと…
上野や六本木あたりの公募展で観る場合には
つい「うまいか下手か」で観てしまう。
でも「ハマ展」を観る際には「市民展なんだから…な」ってことから、
技術レベルなんか期待せずに観る体制が、はじめから私の中に宿っていた。
その期待通り、多くの皆さん「上手く描こう」とかしていない。
自分の作品が「展示されるだけでも嬉しいッ」
そんな純真・無垢な方たちの絵だから、
なによりも「楽しそうに描いてる」ことが伝わってくる。
技術力などと異なる「作者のココロが伝わるナニか」が感じられる。
無理して「つくった絵」じゃなくて
「描くことの喜びの中からできた絵」
それらを観ることはすごく心地良かった。
絵を観ることの「面白さ・楽しさ」を感じたのは
本当に久しぶりの気がした。
「ヘタへた」の魅力
いわゆる「ヘタウマ」について、深井次郎さんはエッセイで次のように述べている。
人間の、絵の成熟プロセスは「子供の絵」にはじまり「6つのステージ」からなる螺旋状になっている。
ステージ① 誕生期 「子供の絵」
ステージ② 反抗期 「ヘタヘタ」
ステージ③ 適応完成期 「ウマウマ」(成熟完成期)
ステージ④ 適応不調期 「ウマウマ」
ステージ⑤ 個性革命期 「ヘタウマ」
ステージ⑥ 無垢期 「ヘタウマ」
世の中の学校や会社では「成熟のゴールが③である」と教えられる。
多くの人は③までで進化を止める。
他人は他人、自分は自分。わたしはわたしの道を行くよって人だけが⑤に進む。
そして、⑥無垢期で「自分らしく!」という力みもなく、「他人の目」に自分を証明しようとするエゴもなく、ただ心から湧き上がる喜びのままに表現できる。
< 学んだことを一度捨てて、白紙にできるかどうか。技術を身につけた上で、何も知らなかった子供に戻れた人たちが、ヘタウマなのです。 ヘタウマにぼくらの心が奪われるのは、「それが人間の成熟の方向だから」なのでしょう。 >
以上:【第273話】なぜヘタウマに心動かされるのか? / 深井次郎エッセイ
「ヘタウマの書」で人気の相田みつをさんは、実は書の技術力は相当高い。マティスもピカソも岡本太郎もホントは上手かった。
ホントは上手かった人のことを「ヘタウマ」と呼ぶならば「ハマ展」のヘタクソさんは、大人になってもステージ②「ヘタヘタ」に止まってる人かも知れない。
でも、彼らはちょっと違うと思う。ステージ⑥ 無垢期も備えてる。
だから「ヘタへた」だ。
「ハマ展」からの帰り道、そんなことを思った。
2つの動画をつくった
「ハマ展の展示状況を紹介」する動画をつくってみた(下の ①)。
でもそれでは「ハマ展」で、私が感じた楽しさを伝えることができなかった。
だからもう一本「ハマ展のルソーたち」をつくった(下の ②)。
そういうことです。
2022 ハマ展 ①(横浜美術協会 )絵画作品ほぼ全部
2022 ハマ展 ② ハマ展のルソーたち
おわり