「横浜市立図書館」の蔵書数は全国8位
ランキング表は少し古いものだけれど、「横浜市立図書館」の蔵書数は、なんと九州大学と大阪大学に挟まれてる。そんじょの大学図書館より上位に位置してるぞ。
市内18区にそれぞれ1つの図書館があり、元締めが中央図書館。私の自宅から中央図書館まで自転車で7分。他館の本でもネット予約すると数日後に取り寄せて「ご用意できました」って知らせてくれる。いい時代になったもんだ。
えっ、国際展ってそんなに危ういものだったの?
さて、「ヨコトリ」関連の資料は、3Fの開架の横浜資料棚にまとめてあった。第一回から 2017年 の前回(第7回 )までのカタログと報告書や記録集などがある。カタログから主要作品の写真と解説が確認でき、 報告書や記録集からは各回の企画概要を掴むことができた。
各回の、開催に至る経緯、運営体制、コンセプトと参加作家の傾向などをみると、「ヨコハマトリエンナーレ」は「 毎回手探りの試行錯誤」で「紆余曲折して迷走」してきたことが 分かった。
これにはとても驚いた。
ヴェネチア・ ビエンナーレは1895年の開始、カッセル・ドクメンタは1955年のスタートだ。代表的なこれらの 国際展 が歴史を積み上げてきたわけだから、【 国際展】は「開催意義」や「運営方針」「基本的なスタイル」はすでに確立し、その上で差別化を図る工夫がなされているものと私は考えていた。 しかし国際展の実態は違っていた。運営体制はいつも綱渡りのような危うさの中で、やっと開催にこぎつけているようなのだ。
かつて私が「なんだかワカラン」って感じたのは個々の展示作品に関してではなく、実は「ヨコトリの全体企画」のことだった。それは国際展の企画の仕組みの問題だったことが分かった。 。
「そうか、そういうことだったのか。」
ということで、 関連本を選びに5Fの美術書棚へ行った。
この6冊を借りた
■なぜ国際展か 建畠晢 (監修) 2005年
国際展がどのような目的を持って開催され、どのようなキュレーションによって組織されているのかを改めて問い直すシンポジウム。磯崎新×岡部あおみ×北川フラム×南條史生×長谷川祐子。「横浜会議2004ーなぜ、国際展か?」のレポートと討議を含む全内容を記録したもの
■ビエンナーレの現在 (暮沢 剛巳 /難波 祐子)2008年
ビエンナーレ=国際美術展とはどのようなイベントなのか。横浜トリエンナーレやアジア太平洋トリエンナーレなどを取り上げて、都市、美術、グローバリゼーション、市民参加などの視点から、社会的・文化的な意義を明らかにする。
■日本国際美術展と戦後美術史 山下晃平 2017
「日本国際美術展」通称「東京ビエンナーレ」を包括的に研究した(博士論文)。先行研究の動向、「日本国際美術展」再考、「美術(芸術)」の制度性と「日本」、芸術環境の変化—野外美術展の展開とその文脈、「読売アンデパンダン展」などの大型美術展との比較研究、「美術(芸術)」の制度性を捉え直し、戦後日本の美術史形成過程を読み解く。
■パブリックアート政策―芸術の公共性とアメリカ文化政策の変遷 工藤安代 2008
アメリカ文化政策の歴史的推移をふまえ、世界のパブリックアート政策を牽引してきたアメリカの70年にわたる実践を公益性・公共性・芸術性から検証した基礎的研究。
■トリエンナーレは何を目指すのか 吉田 隆之 2015
名古屋市中区長者町地区で起きた地域コミュニティ形成の面での効果と、国際展に対する均質化・陳腐化の批判を踏まえ、都市型芸術祭の今後の方向性に焦点を当て、その意義と継続の道筋を示す。
■あいちトリエンナーレ展示中止事件 岡本有佳/編 2019
国際芸術祭の一環だった検閲を問う企画展が,政治家の発言や電話やファクスなどで抗議,脅迫を受け,開催後三日で中止に至った.国家のみならず社会の圧力からどう表現を守るのか.事態の経緯を記録し,さまざまな局面から日本社会そのものの不自由さを問う.各種の声明,参加作家のメッセージを付す.
私にも、やっと理解できたよ
丸一日かけて、これらを読んだ。
私は、右目の白内障が次第に進み若干曇りガラスのよう。左右の視力差があるのでそのうちに手術しようと思ってる。PCのモニター画面ならそんなに気にはならないけど、本を読むときは結構疲れるからすぐにギブアップだ。でも、今回は頑張って読み込んだ。
「国際芸術祭の分かりにくさの理由」および 「なぜパブリック彫刻が氾濫 したのか」、おまけに「愛知トリエンナーレの問題点」
これらに関して、ナナメ読みだけど、大体のことが理解できた。
自分が理解することと、それを伝えることとは違う。
簡単にうまく伝えることを考えてみたい。
つづく