列車で席を譲られた
「どうぞ…」って、
立ち上がったお嬢さんから初めて席を譲られた。
「えっ、私のこと…?」って、驚いた。
列車で立っていても、まだまだ足腰は平気だけど
「私も、席を譲られる歳に…なったのか。」
「外見は、けっこう老いて見えるのかな~。」
って思った次第。
さらばえる
「さらばえる」は古語で、ある状態が極端に進むことを表す。
単に高齢であるという以上に、衰弱し、かつての面影もなくなってしまった様子を強調している。
▶「老いさらばえた父の背中が、妙に小さく見えた。」
= 文学作品で老いた人物の悲哀や衰退を描写するとき。
▶「あの老いさらばえた長老たちに、もはや時代を導く力はない。」
= 時代遅れのまま権力にしがみつく人物を批判的に表現するとき。
侮蔑的な響きが強いため、日常会話やビジネスシーンでは使用を避けるべき言葉とされる。
老い…さらば
いつのまにか、私も73才になってしまったわけだけど、
自分では「老い」の意識は全く無い。
きっと今後もズ~っと「老いた」なんて思わないだろう。
だから思うのです。
「老い」には「別れを告げよう=さらば」しよう。
「老い…さらば」だ。
年寄に、年寄意識はゼンゼン無い
以前、夜中にポッドキャストだったろうか、
勢古浩爾さんが話してた。
「老人は老人だと思ってないんだよ」
私も、たしかにそうだよな~って思いメモをとった。
以下は、その時のメモです。
■ 俺は老人(勢古浩爾)■
老人のようで老人ではない。
人との関わりの中で老人と認識させられる。
中心にあるのはいつも自分。
一人でいる時は老人だと思わない。
オレ意識は老人意識より勝る。
体が疲れる、病気が増える。
心と体とのギャップほど残酷なも
意味も価値もない人生を生きていく。
何を生きがいにするのか?
▶ ストレスもなく、好きなものを食べて楽しく生きるのが一番(和田秀樹)
だが、「楽しく生きよ」が逆に脅迫観念になる。
そんなに日々の生活の中で楽しいことがあるか?
▶ 生物学的に生きていることに意味なんてない(池田清彦) 人生には何の意味も価値もない。 生きがいもないし、目的もないが、それでも生きていかねばならない。
無我夢中、我を忘れるという状態に、老人という意識は皆無だ。
生活の中心に夢中になれることがあるのが幸せの要件。
人は、我を忘れている時が幸せの要件
「楽しいことは嫌い」と言う人はいないだろう。
生きてるだけで楽しい。
病気になると、健康が一番と気づく。
サンプルを読んでね
https://www.amazon.co.jp/dp/4860295749/ref?asin=B0DPXJTD9P&revisionId=ef453965&format=3&depth=1
すこし…老人について考えたい
≪ そうしてみると、奇妙なことが分かる。≫
多くの老人は、見かけは老いぼれてるけど「心は老人じゃ無い」
ヨボヨボ歩いてても「心は若者とおんなじ」
ボーっとベンチに座っていても「疲れたサラリーマンより心は健康」 かも知れない。
いやきっとそうだろう。
「老人力」という言葉を発案したのは赤瀬川原平。
彼は、ニセ千円札事件で捕まるなど問題人だが、その発想力はとんでもなく面白い。
▶ 赤瀬川原平 Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/
老人力は、赤瀬川原平が1997年に提唱した概念。
これは「物忘れが激しくなった」など、老化による衰えというマイナス思考を
「老人力がついてきた」というプラス思考へ転換する逆転の発想である。
ふつうは歳をとったとか、モーロクしたとか、あいつもだいぶボケたとかいうんだけど、そういう言葉の代りに、
「あいつも、かなり老人力がついてきたな」
というふうに言うのである。そうすると何だか、歳をとることに積極性が出てきて、なかなかいい。
そうしてみると、私の老人力は、マダマダだな。
でもね、日本は人口の約3割が65歳以上だ。
老人の生き方について、もっと肯定的・積極的な意見があっても良いではないか?
これから図書館へ行ってみるよ。
