06/18 初夏の東京(3)皇居再発見

東京

皇居前で、じぶんの情けなさを発見した

「明治生命館」の後は「皇居外苑」へ

<・ 拡大します>   江戸期MAPを重ねてみました。皇居前広場の土地は武家屋敷が建ち並ぶ一等地でした。赤線=今回散策した経路。

皇居前広場は、こんなに広かったっけ‼

二重橋へ向かい ました。
歩きはじめてスグ「皇居前警備派出所」交差点で思った。
「ひ、広い!」
車は通行止め、人通りもほとんど無い。
このあたりには、幾度か来たことがあるはずだが、驚くほどの広さを感じた
「皇居外苑」はあのあたり一帯を指し、「皇居前広場」は、そのうちの広い芝生、松並木、砂利敷きの大広場を言う>

クロマツが綺麗に手入れされている(かつてはここに千本植えられていたそうだ)。
刈り込まれた芝生が見事。しかし、よ~く見ると「雑草」が一本も無い
不思議だったから調べてみた。
< 皇居前広場の芝生に雑草がないのは、環境省の管轄のもと、年間を通して非常に計画的かつ徹底的な維持管理が行われているからです [1, 2]国民公園協会 >
て…、ことだった。

「楠木正成」はどういう人だったっけ

楠木正成像があった。


「あのさ~、楠木正成ってどういう人だったっけ? 名前は知ってるけど…」
「私も分からない…」
「なにか皇居に関係があるんだろ~な。」
後で調べたら分かった。

▶ 皇居外苑に建つ南北朝時代の武将 楠正成像
< 日本の歴史上屈指の忠臣として名高い楠正成くすのきまさしげ)。鎌倉幕府討伐から南北朝時代突入までの激動の時代を、後醍醐天皇に寄り添いサポートし続けた楠木正成の生き様は、「忠臣蔵」の物語と混ざり合い、歌舞伎や浄瑠璃となって現在も人々に語り継がれています。>

詳しくはこちらを 楠木正成-歴史上の実力者 https://www.touken-world.jp/tips/44317/

二重橋って?

「あのさ~二重橋って、前後二つの橋が重なって見えるから「二重橋」って言うんだって、知ってた?」
「え~私は、奥の橋が、以前は上下2段になってたからだと思ってたよ~。」
「ん?」

後で調べたら奥さんが正しかった

この辺りが海? そんなことないだろ

ところどころに案内板があり、MAPの右側が青色だった。
「ここらは全部「海」だったんだね~。」
奥さんが言った。
「え~、そんなことないだろ~、ここまで海なんてこた~無いだろ?」
と…私。

後で調べたら、海だった
昔、ここらは「日比谷入江」だった。
私の方が、また間違ってた

< 広場が位置する東側エリアは、かつて「日比谷入江」と呼ばれていた浅い海を埋め立てた土地であるため、お濠を挟んで西側に広がる武蔵野台地の高台(標高18メートル前後)と比べると比較的低い地形になっています。>

< 江戸の発展は、常に埋め立てとともにあったと言っても言い過ぎではありません。まず天正18年(1590)の家康江戸入府から間もない時期に行われたのが、日比谷入江の埋め立てです。

家康江戸入府直後の江戸は、「江戸前島」とも呼ばれる半島状の地形でした。ちょうど今の京橋、銀座一帯がその半島部分にあたります。現在の日比谷あたりは、日比谷入江と呼ばれ、内陸まで海が広がっていました。

当時は平川が日比谷入江に注いでいたので、その流れを図のように架けかえてから、日比谷入江が埋め立てられたと考えられています。以降、さまざまな地域で海が埋め立てられ、新しい土地が造成されていきました。>

楠木正成も知らず、二重橋も外苑埋め立てのことも誤解ばかりで
なんにも知らない、情けない私でした。

つづく

◀前の記事  次の記事▶

06/11 初夏の東京(1)茶の湯と懐石
06/15 初夏の東京(2)明治生命館
06/18 初夏の東京(3)皇居再発見
06/22 初夏の東京(4)二の丸庭園の花菖蒲

タイトルとURLをコピーしました