これまで「山田正亮」は私の最も気になる画家だった。
名前の読み方がわからなかったので、私はずっと「山田正なんとか」って呼んでいた。
先日『絵画との契約』なる本を図書館でみつけた。
それにより初めて「亮」を「アキ」と呼ぶことを知った。
本名「正昭」、ペンネームは昭→亮にしたものだ。
調べてみると「亮」という字は、音読みは「リョウ」、訓読みは「あき(らか)・すけ」だから全くの当て字というわけではないが、ほとんどの人は読めないだろう。ずいぶん不親切な名前だと思うな。
私が30代前半のころ、美術雑誌の「みずえ」で初めて見たのが、このセザンヌを思わせる水彩画だった(図)。「東京大学文学部中退」という履歴の記載を見て珍しい人もいるもんだと、この作品との出会いを不思議とおぼえている。
(1990年頃までの出版物に記載されていた「1954年 東京大学文学部中退」という履歴の記載が詐称であるとされ、1994年の『美術手帖』1月号において「東京府立工業高専卒」と修正された)
山田は正規の作家教育を受けていない。
デザイン職を続けながら、戦後変転する日本の美術潮流に背を向け、ひたすら絵画自体の導くままに描き続けてきた。1978年の康画廊で開催した個展で高い評価を受けるまで日本の美術界からほとんど黙殺された。79年開催の個展(佐谷画廊)等において発表された新作は高い評価を受け、彼はいきなり認められる様になった。
彼を知ったのはその頃だった。私はまだ抽象には関心がなかったけれども、透明感あるおおらかなタッチが重なり合う画面にはいたく惹きつけられた。
彼の画風は、目まぐるしく変遷している。
1948年~「Still Life」シリーズ(静物画の主題)
1950年代では Work B
1960年代では Work C
1990年代の Work Fまで40年間続いた
1997年~には異色の「Color」シリーズ
長方形や正方形による構成。絵画の平面性を意識し、抽象的で不規則なパターンによって構成された「繰り返し」や「均等分割」。これらが彼の作品の特徴といえる。けっきょく彼は50年の間に5,000点以上の作品を残した。
『絵画との契約』は、 松浦 寿夫・中林 和雄・沢山 遼・ 林 道郎の4者による五回にわたる連続討議の記録 ・対談をそのまま載せた書籍だ。何人かが語り合う対談をそのまま記録したものだから、そのやり取りの中から多面的な見方が伺える。
この書物を読む際の、私の最初の関心は「山田正なんとか」を理解したいということであった。彼がなにを表現したかったか、 私には これまで長いことサッパリ分からなかった。読み進むにつれて「ああ…、そういうことなの … カ … ナ」と疑問が徐々に溶解していった。
「絵画は平坦であってはいけない」というのが山田なんとか氏の考えだった。そこで、
「平坦性を超える重層的な平面性というものが含まれていなければいけない」
これが彼の制作の基本にあった。
・ストライプシリーズ=水平に重ねる色の線の反復に微細な奥行き・前後関係を示唆する。
・Eシリーズ=ペインタリーな色彩の重なりが揺れ動く中に、十字形のパターンが現れ
平面を強調する役割を果たす。
・絵画にはなんらかの色彩や形がのせられるたびに、つねになんらかの奥行きがその内部に
生じている。
・平面を念押しするのには自己反復が必要。グリッド構造は、物理的な平坦性とは違った
表象された平面性を強調する。
・下地を覗かせることは一種のネガティブ・スペースと言っても良い。
マティスやステラに見られるように、これは近代絵画の生産原理、ある種の王道である。
今回、私にとって収穫だったのは、 「山田正なんとか」氏の理解にくわえて 抽象絵画を推進してきたベーシックな思考を理解できた気がすることだった。それに関する抜粋(要約)を以下に示す。
・近代絵画の歴史は画面の平坦化の歴史として記述される。
マネのオランピアがその歴史の開始に位置づけられる
(画面の奥でなく手前に空気の空間を作り出したといえる)
・あらゆる部分を当価につくりこみ、等しい権利を与えたセザンヌの画面は
近代絵画のベースになっている。
・モダニズムにおける「絵画の起源」を問うという態度は、
カンディンスキーの言った内的必然的の概念と結びつく。
作品から対象を捨象したあとにそれでもなおかつそれが絵画であるという
保証を何がもたらしてくれるのか?これこそが重要だった。
単なる装飾的な色と形のアラベスクとどのように区別されるのか?
・必然性の反対語は恣意的。
画家にとってキャンバスは恣意的な状態に開かれているが、
制作はこれらの選択を必然性のもとに構造化していく必要がある。
・いわゆる美術教育を受けていない芸術家が、
まったく新しい問題群を発見することは頻繁に起こりうる。
限られた持ち札で、技術的な保証のないところで、
ゼロから考えるがゆえに何かを発見することが起こりうる。
この書籍のタイトル「絵画との契約」は、「弱っても死ぬことはない。絵画との契約がある」と、彼が書いたノートの一節からきている。戦後の50年ごろ戦争経験や結核で死にそうになった中で、生死と戦後の空白の中で頼れるものという意味での契約という言葉が出てきたという。
「契約」という語にはつらくても乗りこえていくとイメージがある。山田正亮氏の作品から受けるストイックな感じはそこに由来するのかもしれない。
文字も小さくて読みづらく、行きつ戻りつ、幾度も読み返した。
久しぶりに自分のモノとして読むことができた。
図版も無く、専門家向け。一般的には読みにくいから決してお勧めできません!