山田正亮氏には、B~Fに至る一連の作品シリーズがあることを今回始めて知った。
彼のシリーズの代表作を順に並べてみたところ、
「ん…アレ?」
「なんか…、これはどこかで…?」
私の作品傾向の変化と、どこか似ているような気がして
私の作品写真をあてはめてみた。
「おおッ、とってもよく似てるじゃない…か!」
C=水平帯の積み重ね、D=正方形のパターン化、E・F=規則的な正方形のベースに不規則なカラータッチへと、山田氏のC~Eへの変化は、私の90~2000年代の変化とほとんど同じだ。
私の制作を振り返ってみた。
・私は、1987年を機に具象表現を離れようと考えた。
最初に試みたのは、輪郭線と面塗りとを分離させたドローイングだった。
色和紙をコラージュしてパステルやチューブ絵の具を直接塗りつけるなど、
すごく開放された気持ちで制作できた。
・「カタチ」から開放された後には色面だけがのこった。
だから最も素朴な方法として色帯を積み上げてみた。
この傾向の作品は1年間で大小20点程つくった。
・それ以後はパソコンでの制作となる。
正方形を寄せ集めたパターン化の作品を5年間続けたのは、
プリンタの印刷サイズの制約のためだった。大判サイズのプリントが可能になってからは、
正方形パターンの上にタッチを自在に重ねることができるようになった。
私のパソコン制作の基本は、巨大サイズに設定した「筆(タッチ)」と
「透明感ある色彩」だった。これらの組み合わせだけでは大画面を持たせられないことから、
ベースに正方形グリッドを配置しておいた。
こうした作品制作の変化が、山田氏のそれと類似していると思った。でも「だからどうした」ってことなのだが、私としてはとっても嬉しかった。
私は、ズ~ッと同じような傾向の作品を制作するのが苦手だった。それは単に「飽きてしまう」からだろうと思っていた。ホンマモンの作家ならば、あえてそこを乗り越えて継続すべきなのだろうが…。それができないことの弱さを恥じていた。
今回、山田氏のシリーズ展開との類似を知り、変化することは恥じることでは無いのかもしれない、そう思うようになった。
山田氏にとっての「絵画との契約」は、唯一の「頼れるもの」「つらくても乗りこえていく」という意味での契約という言葉だったという。
私のばあい、30歳前後の時点ですでに悩んでいた。
「私は、なんで絵なんか描いてるのだろう?
特に描きたいメッセージもないのだから止めちゃおうかな」
それ以後も、幾度もそう思った。
しかし制作をやめずに続けて来られたのは、
「絵を教える立場にあるため」だったと思う。
私にとっての「絵画との契約」とは、生計を得ることと同一だった。
私の世俗的な契約と違って
山田正亮氏の「絵画との契約」は「神との契約」にも似た純粋さがある。
だからこそ、彼はホンマモンなのだろう。