1122  のぼうの城へ行きました

その他

ビデオを借りた

「ビデオ借りてきてよ」
え…?ビデオ」
「『のぼうの城』借りてきてよ、TSUTAYAで。」

今回二人で北関東方面へ行くのだが、そのついでに行田市にある「忍城(おしじょう)見学へ、奥さんが行きたいんだってサ。ついては「忍城」の水攻めを扱った映画「のぼうの城」を見ておきたいとのこと。そこで私が歯医者の定期検診へ行く際に、横浜駅西口地下のTSUTAYAでビデオを借りることになったんだ

横浜に転居してからはレンタルビデオを一度も借りたことがない。TSUTAYAに行き、DVDや音楽CD・コミック本がビッシリ並んだ棚を前に…途方に暮れた、私しゃこういう作業が大苦手なんだ。どうやって探したら良いやら…、ウロウロ少し探したが見つからずギブアップ。

レジのおねーさんに「あの~、のぼうの城っての有るかな~?」
ねーさん、まもなく探して来てくれた。

ビデオを観た

だいぶ以前から、私は長時間のTVドラマなど観る気力が無くなってしまった。だから当然今回も2時間もある映画なんか見続けられる訳が無い。それに加えて「のぼうの城」の前半は、武将の関係性が難しくて理解できへん。だから後半の「水攻め」だけを観たのだった。

さ~て、水攻めの堰で囲まれた城に向け、ド~っと水が押し寄せてくる場面があった。
「ン、なわけ無いだろ! 水攻めなんだからジワリジワリと水が貯まるわけで、津波みたいに水が押し寄せてくるはず無いだろ…まったく」

それから「のぼうの城」の「のぼう」は城主の従兄弟で「でくのぼう」がその由来。おおらかな人柄で人々からは愛されて「のぼう様」と呼ばれる野村萬斎が、敵方を前にして田楽を踊る場面があった。
「ン…なことするわきゃ無いだろ~、ドラマだよな~」
そんなことつぶやきながらビデオを見終えた。けっきょく、どこまでが事実で何がフィクションなのかさっぱり分からなかった。私は、一度きりで見飽きてしまったが、奥さんはその後、もう一度全部観ていた。まったく研究熱心なことだ。

11/15日、朝6時に家を出て横浜駅でJRに乗った。6時半ごろなのに通勤客がいっぱい。早朝から働くサラリーマンの姿を見るのは久しぶり。湘南新宿ラインのグリーン席で優雅に移動し8時に行田駅着。30分かけて行田周辺の有名所を一巡りする「市内循環バス」の「観光拠点循環コース」に乗った(運賃:150円)。「古代蓮」や「古墳群」を車窓から眺めてから、忍城についた。

難攻不落の名城、忍城を観た

忍城は現在の埼玉県行田市にあり、北は栃木県との境となっている利根川、南は荒川に挟まれた低湿地帯にある。この2つの河川や支流によって作られた自然堤防や、伏流水が湧き出て集まった沼地に残る島や高地を利用して、忍城は築城された。この立地から、守りにくく攻めにくい天然の要害となっており、関東屈指の名城である。

この城は、水攻めにも耐えた「浮き城」と言われてるのだが、現在の忍城周辺は、沼がほとんど埋められて市役所、産業会館、学校などがあるだけで、どこにも湿地帯の名残は感じられなかった。
忍城にはもともと天守が無く目立った建築物も無かったそう。本丸御殿や櫓 (やぐら)もほとんど取り壊されてしまってるから、通常の「お城見物」とは違い地味だった。

ところで、「忍(おし)」という呼び名にはどこか怪しげな響きがある。
<関東古方言で、「万葉集」に見られる磯(おし)・磯辺(おしへ)と同義>
<旧地名の「押上」の下略形。押上は、利根川と荒川がこのあたりで合流し、流れてきた土砂が押し上げられる、に由来する>
このように、地名の由来はいくつか有るようだが詳しくは分からなかった。ただし忍者とは無関係のようだ。

以降は、写真中心にご紹介

さ~て、こんなペースじゃいつものように「終わらん」ことになるね。
ということで、撮影した写真中心にハイピッチでご紹介します。
下図の赤線が歩いた経路東小路を通り、城郭をひと回りして東門から入るまで15分ほどだった。

忍城にはもともと天守が無い。東門のすぐ脇に三層の建物があるけれど、これは天守じゃなくて三階櫓。天守を持たないもしくは持てない城では三階櫓が天守の代用だった。この三階櫓は別の場所にあり解体(破却)されちまったものを再建して内部を展示室にしたもの。

現在の施設は、ほぼ再建物ばかり

日本の多くの城郭は、明治6年の「廃城令」により、軍事利用や特別な例外がない限りすべて廃城処分となった。忍城は、それ以前から財政の窮乏により城郭維持をあきらめて破却を政府に申し出て、認可をうけて廃城とした」とのこと。だから、忍城は現存の建物のほとんどが再建築されたものなわけだ。

ステキな博物館がありました

忍城の中央、本丸跡地に「行田市郷土博物館(入館料たった200円があった

 

「モニター+音声ガイド」と「地図ライティング」とのセット解説が秀逸だった。

何でもありの博物館

展示室は4つ。忍城の築城、江戸時代の忍城と城下町の様子、足袋製造の歴史、古代の歴史と文化に分かれており、縄文時代から近代にいたるまでの行田の歴史をたどる構成だった。

<古代から現代にいたる行田の歴史と文化を学ぶことができ …> と言うだけあり、コンパクトながらも中身が濃すぎて見切れなかった。

「タビの陸王」もあった

そういえば行田は「タビ」の生産で有名だ。何年か前に見たTVドラマ「陸王」はけっこう面白かった。やっぱり池井戸潤は良い話を書くな! 下の写真は行田の「田んぼアート」。今や日本中で行われてるイベントだけど、けっこうなスケールで頑張ってる。

展示室と三階櫓とは少し離れているのだが、長い渡り廊下で繋がっている。三階櫓の内部にも展示が継続してた。

ただし、三階櫓は最上階まで登っても窓の構造から外を見渡すことができない。わずかな隙間から覗き込むだけで外の景色を見渡すことができない。せっかく登ってもチョット残念だった。

うまそうに見えない名物、ゼリーフライ

「ゼリーフライ」が展示してあった。
中身はおからで銭が名前の由来になっており、ゼニフライがなまってゼリーフライだとか。こりゃ見るからに「…?」食べようとは思えなかったな。

博物館の入り口は、公民館みたい

さーて、オープンの9時~10時半までじっくり見学したのだが、最初の1時間他のお客さんは一組だけ。おかげでじっくりゆっくり見学できました(10時以後は複数のグループが来ましたよ)。

博物館の展示室はモダンな配置。しかも、ゆったりしていて見やすかったから90点。でも入り口あたりがネ~(下写真)、こりゃ地方の公民館だ、ダサかったから入り口は30点

秩父鉄道にのった

忍城を出て「行田市駅」まで、穏やかな秋の陽気の中を15分ほど歩き、羽生駅まで秩父鉄道に乗った。しか~し、秩父鉄道は怖かった。
低速時の車輪音がゴトゴトだ! 古い市電が線路の凸凹をそのまま拾ってるようだった。車両もどこかの払い下げみたいだし、こりゃ怖いなって思いながら20分ほど我慢した。

その後の食事

羽生駅で娘の車にピックアップしてもらい、東北自動車道の羽生PA上り線「鬼平江戸処」でランチした。開発に3年費やしたという軍鶏トラ五鉄の「一本うどん」は、すんごく固くて娘はギブアップ(私はチョット好きだけど)。奥さんは江戸メシ万七の「大海老天重」こりゃデカくてうまかった。

翌日は、古河駅近くの「餃子の丸満 本店」。ここは、丸っこい揚餃子で知られるホワイト餃子から分離独立した人気店。11時半開店に行ったらもう満席。でも数分で入店できた。
まるで揚げたような皮だから、う~む餃子って呼ぶのかパンなのか~? 私の好みにはチョット微妙だが、スゴク安くてボリュウムあるから大人気だ。

孫の誕生祝に娘の家を訪ねる2泊3日、秋の小旅行でした。

おわり

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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