0628 まとめ   奄美旅行(5)

奄美旅行

奄美旅行から戻り50日になる。
内容を忘れてしまいそうだから、そろそろまとめておく。

飛行機は久しぶり

羽田空港に行くのは4年ぶり。チェックインが全て自動になっていてセルフ化の進展ぶりに驚いた。羽田からの奄美空港直行便は午後発だから効率が悪い。だからちょっと面倒だけど乗継便にした。往路は伊丹乗継ぎで1時間+1時間45分(乗継待ち時間30分)でけっこう遠かった。帰路は鹿児島空港で乗り継ぎした。さすが鹿児島だ、小さめの機体の離島便が10機もズラリ並んで待機中。その光景はなかなか壮観だった。

移動はレンタカー。

奄美のレンタカーはすごく安い。観光客の島内移動は皆さんレンタカーだという。南はマングローブパークまで行った。道路はどこも狭いが車が少ないからとても走りやすい。トータルの走行距離は約200㎞、ガソリン代は2900円ほどだった。

宿

一泊目の「プチリゾートネイティブシー奄美」は倉崎ビーチを望む高台にある。オーシャンビューでロフト付きメゾネットタイプで、シーリングファンがついて別荘のよう。テラスからは倉崎ビーチが一望できとっても心地よかった。

二泊目は名瀬市内の「ホテルウエストコート奄美」。
レセプションで「デラックスツインをご用意させていただきました」って言われた。JTBで旅行を組んだ場合、こんな風にワンランク上の部屋を用意してくれることが多い。でも広すぎてチョット落ち着かないほどだった。このホテルは夕方の市内歩きには便利だった。

海岸が磯臭くない

海岸は「おお~キレイだ」って言うほどのもんじゃなく、思ったよりフツーだった。やっぱり奄美はダイビングなんかしないと海を楽しむことにはならないな。

ところで、海岸へ行っても不思議なのは「あれ~?海の臭いがしないな~?」と感じたことだった。
海の磯臭さは、植物プランクトンをはじめとする生物の腐敗臭が原因だそうな。それが奄美では、海水温が高いために生物の分解がとても速く、おかげで臭いが発生しにくいんだそうな。

これまで、海沿いなら「磯の香り」がするのはあたりまえだと思っていた。「潮の香」とは塩じゃなくて腐敗臭だという理由を知って、ちょっと興ざめた。

名物にうまいもの無し

せっかく旅行に行ったのだから「その土地の美味しいものを」といつも思うのだが、案外平凡なものばかりだ。でも今回は気候が違うこともあり、珍しいものが多くありとても面白かった。

✖✖✖✖     期待したけど、残念だったもの   ✖✖✖✖✖

▼ 鶏飯(けいはん)  ひさ倉 みなとや 鶏飯

「ふつ~のお茶漬け一度食べれば十分、幾度も食べたいとは思わない。

島どうふ
「ふつ~の豆腐」だった。ただし、メニューが多くて、量もおおくてビックらこいた。

▼ 油そうめん
肉と、キャベツ、玉ねぎ、ピーマン、ニンジン、フル(茎ニンニク)、ニラ、マコモなどを素麺と共に炒め、味付けをしたもの。たしかに具材はそうだが、タダの「そうめん+野菜炒め」だった。こりゃとても残念メニューだぞ

▼ パッションフルーツ
ネーミングに惹かれて食べてみた。種ばっかりで何食べたのかワカランものだった。しかもパッションは「情熱」じゃなくって「英語: Passion(受難)」なんだってさ。パッションフルーツには手を出すな!

 

◎◎◎◎◎ 予想外にイケル食い物 ◎◎◎◎◎

◎ 海ぶどう
海の宝石あるいは海のキャビアとも言われるそうな。見るからにぷりぷりしてて美味しそう。噛むとジュワ~つとゼリー状の液が出てくる何とも言えない奇妙なしろものだ。居酒屋脇田丸で注文したのだが、600円で二人で食べるのにたっぷりあった。

◎ 島バナナ
おんぼろ八百屋に大きな房のままでつるされていた。昔の台湾バナナに似た小さめのバナナで見てくれも良くない。でも濃厚で旨味がたっぷりある。一口食べて 「う~んまい」。希少性があるらしく値段はふつうのバナナの3倍以上。

◎ パパイヤ漬け
これはすごく面白い食感だった。鶏飯を注文したらすぐ出された漬物。甘めで硬めでプリプリしてる。「コレ何?」って聞いたら「パパイヤ漬けです。」おみやげに買いました。

◎ ミキ
さつまいもなどを原料に、発酵して作る奄美の伝統的発酵飲料。甘酒のようだしカルピスのようでもある。製造所により味が違っている。島どうふ屋のミキが一番おいしかった。

◎ トビンニャ
チャンバラ貝(まがき貝)の奄美大島北部地域での呼び名。小さな爪があるから引っ張り出しやすい。コリコリした食感で楽しい。

極貧だった奄美大島

戦後の奄美は酷かったという。
名瀬は 1945(S20)年に米軍の空襲を受けて市街地の9を焼失した。戦後は1953(S28)年に日本へ復帰するまでの8年間米軍の統治下におかれた。

沖縄が基地の島として整備が急速に進められたのに対して、米軍の戦略的に価値がなかった奄美大島は「野放し」にされていた。本土からの投資は途絶え、高い関税がかけられ産業や生活の基盤が荒廃。食糧を突然3倍に値上げされ、慢性的な食料・物不足。多くの家はバラック小屋のままだった。
全島民を挙げての返還運動により復帰を果たして以後、極貧の生活からやっと抜けだすことが出来たそうな。

昔は舟で移動した

マングローブパークまで運転していて思った。
「昔は、奄美の人たちはどうやって移動していたのか?」
山々が海岸近くまでせり出しており、いずれの「集落」も海岸近くのわずかな平地に分散して存在している。だから、かつては集落間の移動は陸路よりも海路が発達していたという。
陸路の整備は本土復帰以後だったそうな。現在は2㎞近い長さの立派なトンネルが4本あるから車移動が可能だが昔はどれだけ大変だったろうと思った。

今日から梅雨に入りました

奄美空港でレンタカーを返却する際に店員が教えてくれた。
「今日から梅雨に入りました、今年は雨が多いです。」
5月の連休中はずっと雨天続きだったそうな。

最終日の3日目には小雨も降ったが2日間は天気が良かった
ギリギリ梅雨入りに間に合う旅行だった。

来年は…

帰りの機内でのこと
「来年は石垣島だな。」と奥さん

「…ム 又かい… (>_<) 」と私

 

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